忍者ブログ
[1] [2] [3
Posted by - 2017.04.27,Thu
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Posted by LittKidd - 2009.02.27,Fri
テッド・チャン『あなたの人生の物語』はヒューゴー・ネビュラ・ローカス賞をトリプル受賞の短編集。面白かったけど、いまひとつ印象には残ってない。アイデアもいいしバランスもいい、いわゆるウェルメイドなSFの感じはするんだけど…なんかデーモンがいないってゆうか。破綻とか無茶苦茶が欲しいんです、どっかに。

ようやく見つけた『VALIS』は、読み終えるのにけっこう時間かかった…読めばわかるけどゾロアスター教とかグノーシス主義とか、膨大な量のそういう神学・歴史の知識がないと、とてもじゃないけど意味ワカンネっす。ということで完全にわからないながらに読みましたが、とりあえず「読んだ」という既成事実を作れたことには満足。小説部分は面白い。PKDに深く「溺れる」には確かに避けて通れない一冊と思う。コリン・ウィルソンとかを読んだ時も考えたんだけど、やっぱり(旧・新どちらも)聖書を一回読まなきゃ何も始まらないっぽい。でもその先が長いんだよなあこの道は。ユダヤ教、イスラム教、初期キリスト教、ギリシャ神話、エジプト神話、仏教、易経、グノーシス、カバラ、ユングにフロイト、エトセトラ。アカシックレコードとかも出てきます。巻末に付けられた訳者(大瀧啓裕)による“Adversaria”は、彼のいう“ディック教”の神学・哲学的用語集として異常な充実ぶり。“付記”もかなり奮ってます。とりあえず、なぜか家にありながらまだ観てない『ダ・ヴィンチ・コード』のDVDから観てみっか。あれ?ナイなー。
PR
Posted by LittKidd - 2009.02.07,Sat


ヴァン・ヴォクトの『スラン』を読みました。

繰り出されるアイデア!惜しみなく投入されるガジェット!危機に次ぐ危機!そして解き明かされる謎!

「スラン」と呼ばれるミュータントの少年の冒険と成長を通じて、「人間」「純スラン」「無触手スラン」三種族の争いと策謀の歴史を描く物語。人間・無触手スラン双方に追われる主人公ジョミー・クロスの身に、一章ごとに絶体絶命のピンチが訪れる。1940年発表だが、こうした一難去ってまた一難式のストーリー展開は、サイレント映画当時の連続活劇、いわゆるクリフハンガーのようでもあると「訳者あとがき」にある。ちなみに浅倉久志先生です。日本語の文章が上手いって大事だなあ、とこの人の訳文を読むといつもそう思わされる。

SF古典の一つでもありマスターピース的作品ということで(『地球へ…』のジョミーとかそのまんまだ)、確かに間違いのない面白さ。一気に読んだ。超能力とかミュータントとか迫害されるのとかが大好きなお友達には元祖的なアレとしてオススメだ!

細かい伏線とか回収されない、ほったらかしな部分も多いなどの勢い重視な粗いつくりもイイ。
面白ければ、それでいいのでR。
Posted by LittKidd - 2009.01.28,Wed
4時から上棟式だったので、仕事を2時過ぎに切り上げて帰る。
職場から駅までの路上で、両手で松葉杖をついたギャルがヨロヨロと歩いてるのを見かけてちょい萌え。



帰りの電車でスタージョンの『夢見る宝石』を読み終える。ちょっと前にまとめ買いして積ん読っていたもの。スタージョンは「幻想SFの巨匠」なんだそうで、確かによくもまあこんな話を思いつくもんだ、と思わずにはいられない、変テコな小説。表紙もかなりアレで、普通に手に取りたいとは思えないだろコレ。でも面白い。『人間以上』と同じく、世間と相容れない「ハジかれた人たち」の生きる世界を描いているが、『人間以上』よりぐっと入り込みやすかった気がする。文章がそこまでひねくれていないというか…まさか自分の読解力が今さら上がったせいとも思えないので、再読・検証の必要性ありかも。『夢見る宝石』の解説ではスタージョンの略歴が紹介されていて、この人の人生というかキャラ自体、だいぶ変わっているようだ。

そのスタージョンには「スタージョンの法則」と呼ばれる格言があるんだとか。俺はこれを最初、「スタージョンの小説の90%は…」という意味だと思ってた。大変失礼な話である。こないだの『分解された男』もそうだが、50年代のアメリカってやっぱちょっと狂ってる感じがする。60年代、ポップにわかりやすく花開くカウンターカルチャーの萌芽、というか種子がまだアンダーグラウンドだった頃の、抑圧され今にも爆発しそうなピリピリした感じ。表面はつるつるで健康的なきれいさを保っているのだけど、一皮むくとその中身はドロドロ、みたいな危うさがあるような気がするのです。そのへんつながりでこれも積ん読にしていたヴォクトの『スラン』を続けて読もうとしていたのだが、家でどうにも見つからず、ついつい何度も読んでいる殿山泰司の『JAMJAM日記』を手に取った。『夢見る宝石』の後はこれを読んで、無事駅に到着。上棟式も滞りなく終わり、夜は娘と遊んで半死半生の目に遭った。ちょっとは手加減しろよバカッ(泣)!


Posted by LittKidd - 2009.01.25,Sun
カミナギーーーーーーー!!!!

えーまじで。うぅ。
いやー(メールで)うすうすそういうことかなとは思ってたんですが、辛すぎます。

とりあえず明日もエンタングル。
Posted by LittKidd - 2009.01.24,Sat
もういっちょごめん。いやほんと、ごめん。

何がって、アニメ『ゼーガペイン』の話です。ええ、完全にナメてました。ちょ〜SFでした。

年末からこっち、消化したい本やらDVDが山のようにあって(しかも正月でほとんど消化できないまま)六話以降を観れてなかったのですが…振り返るともうね、四話の『上海サーバ』を観た時点で、全部気づいてなきゃいけないだろうと。『ディアスポラ』二回読みましたとか言って、テメーまったくもって何も身についてねえじゃねえかと。てか五話目まで、舞浜の街並み・学校がやたらさびしい(人影がない)ことについて、「予算ないんだろうなこのアニメ」とか思ってましたからね俺。「もしくは、ひと昔前のつくば(学園都市)みたいに、生活臭の少ない、人のにおいのしない近未来都市ってことかね」とかも思ってましたから。もうどんだけ読み取れてないんだと。SFを口にする資格ないよ、と。

六話目のシズノ先輩の一言で、頬を叩かれたかのような、目が覚めた思いを味わったわけです。「私に、全部言わせたいの?!」ってやつ。「あっ」と思った。ショックでした。恥を忍んで告白すると…正直言って、そこまで本当に漫然と観てた。恥ずかしいです。てかそこで思ったのは、そもそも『ディアスポラ』を初めて読んだ時点で、こういう話だってあるはずだって、心構えをしてアンテナを張ってるべきだったってこと。あそこで、俺の目の前にはひとつのテーマが見えていたはずで、それをみすみすスルーしてきたのが今の自分なんだ、てことでもあり。…てかやっぱ避けて通れないとこだよな、現代に生きるSF者にとって、ここはやっぱ避けて通れない。なのに俺と来たら、マトリックスの3もいまだに観てません。

駄目だそれじゃ。
てことで、これからちゃんと、ちゃんとしたSF者を目指そうと思いました。
周辺を嗅ぎ廻ってそれで満足して、いい具合に「素人ですから」って韜晦するのはもうヤメる。
もっと正面からSFに向き合う。勉強する。

遅ればせながら、そう思いました。ありがとうゼーガペイン。

今んとこ九話まで。続きを続ける。
Posted by LittKidd - 2009.01.23,Fri
アルフレッド・ベスターの『分解された男』を読んだ。

原題は“THE DEMOLISHED MAN”、スタローンの『デモリションマン』とは関係なさそう。でも『デモリションマン』は『デモリションマン』で、『すばらしい新世界』とかって小説を下敷きにしてるらしい。こっちも面白そうである。映画はたしか観たことあるけど全然覚えてないな。

『分解された男』に戻る…全体的な感じとしては、整合性ばっちり、見事なプロットで破綻なく展開するストーリー。次々と繰り出される豊富なアイデアで形勢は二転三転、中だるみもなく、見せ場の連続といってもいいくらいの「ワイドスクリーン・バロック」が楽しめた。『虎よ、虎よ!』では「このひとちょっと天然?」みたいなことも書いてしまったが、とんでもなかったっす。『分解された男』は、ものすごいバランス感覚で書かれた小説でした。暴力はあるわ超能力(読心能力、テレパシー)はあるわ、キャラは粒ぞろいだわ美女はいっぱい出てくるわ、これ映画になってないのがちょっと不思議。ちなみに第一回のヒューゴー賞受賞作で、作品本体の知名度も相当なもんだと思うのだが、なぜなんでしょう。実はなってんのかな、どっかで。

1953年の作品だから、それなりに古くさく感じられる部分はもちろんある。『虎よ、虎よ!』同様、いろんな作品でネタ元にされてそう。以下に創元推理文庫版の扉にあるあらすじを引用。

舞台は二十四世紀。全太陽系を支配するモナーク大産業王国の樹立を狙うベン・ライクは、宿命のライバルを倒すために殺人という非常手段に訴えた。いっぽう、人類の進化は超感覚者(エスパー)と称する、人の心を自由に透視する特異能力の持主たちを生んでいた。ニューヨーク警察本部の刑事部長リンカン・パウエルはこの超感覚者(エスパー)のリーダーであり、世紀の大犯罪を前にして陣頭指揮を開始。ここに超感覚者対ライクのひきいる巨大な産業ネットワークのあいだに虚々実々の攻防戦が展開する。ヒューゴー賞受賞の栄に輝く名作!

面白そうでしょう。お話は主に逃げる側のベン・ライクのパートと、追う側のパウエルパートで進みます。その行き来の間にうまい具合にいろいろなものを隠したりして、緊張感を途切れさすことなく物語を進行。独特な文体とか、野蛮な登場人物とかはもう「ベスター以外の何者でもない」感じなのですが、全体がやっぱり、驚くほどスマートな印象です。『虎よ、虎よ!』を重たい、傷や断面も顕わな瓦礫のような鈍器、とたとえるなら、『分解された男』は、鋭く研がれた小ぶりなナイフとでも呼べばいいだろうか。そう、まとまりが良いだけに若干「小ぶり」な感じもなくはないのだ。切れ味はいいんだけど…『虎よ、虎よ!』を読んだときに感じた、あのゴツゴツとした何か得体の知れない種類の興奮は得られなかったかもしれない。

タイトルの『もっと引っ張る…』というのは、作中に出てくるとある歌の歌詞で、適当な節をつけて歌ってるうちに、ライクよろしく耳から離れなくなって困った。検索してみると、同じような経験を書いてらっしゃる先輩もおられて笑ってしまう。とにかく『虎よ、虎よ!』があんなにわかりにくく感じたのが嘘のようにスイスイと進む面白さだったので、虎よも再読の必要性を感じた次第です。どうでもいい報告終わり。

八だよ、七だよ、六だよ、五
四だよ、三だよ、二だよ、一

《もっと引っ張る、》いわくテンソル
《もっと引っ張る、》いわくテンソル

緊張、懸念、不和が来た
Posted by LittKidd - 2008.12.25,Thu
読み終わりました。以下ネタバレしますので未読の方はご注意。

世界観と細部は、とてもSFで面白い。高度に発達した医療産業社会、そこでは「健康であること」が何よりもまず第一に求められ、人間(特に若者)は貴重な社会的資源(リソース)として、想定しうる限りの精神的・身体的危機から社会的に遠ざけられている。ニコチンやアルコールの摂取は犯罪、体に悪いことは睡眠不足程度のことでさえ眉をひそめられるようなモラルが浸透し、家庭の献立ひとつからシステムが決定してくれる、生活における判断のほとんどが“外注"で処理される社会、という設定。人は成人すると体内に分子レベルの大きさの機械をインストールして、身体の異常や病気の早期発見や治療が可能になるため、いわゆる老衰以外に、ほとんど健康を害する機会というものがない。その“WatchMe"と呼ばれるマシンで、人と人はまた社会ともオンラインで繋がり、健康状態や氏名・職業といった基本的個人情報も、誰もが瞳に装着した“拡張現実"コンタクトレンズを通して見ることができる。それは思いやりや同調(ハーモナイズ)が根底をなすコミュニケーションの新しい形であり、また反面、緩やかな相互監視のシステムでもあるという社会。そんな社会の在り方に、息苦しさと違和感を感じた三人の少女が起こした、小さな反乱の芽が…みたいな話。ではないな全然。

いわゆる国家とか政府といった形態ではなく、WatchMeによるライフデザイニングシステムを基本とした“生府"という一種の契約集団が人々のまとまりの単位であったり、もちろんそうしたWatchMe思想と相容れない旧式の国家や民族を単位とする人々との紛争があちこちにあったりと、新しい「セカイ」丸ごとを、おそらくは前作『虐殺器官』のあのエンディング(この作品では、それは〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉と呼ばれる)を出発点として設計し直した、その労力は賞賛に値する。大きな部分として、そのダイナミズムはひとつの読みどころとも言えると思う。ただ、ちょっと念を押しすぎっていうかその描写がしつこい。もう繰り返し繰り返しいろんな生活の側面を通してそれが反復されるので、読んでてまたかと思うし、これもう少し短くできるだろ、とも思ってしまう。実際、文字数稼ぎなんじゃないかと邪推したくなるような箇所も個人的な視方ではいくつか見られた。そういう管理社会そのものの描写はいちいちあっていいんだけど、それに関して主人公が、毎回のごとく同じような感想を漏らさなくても良さそうなもんだ。

動物の脳や筋肉などの生体を利用した半自律機械とか、個人認証・追跡のシステムや“拡張現実"を利用した仮想会議などの、細かいギミックはさすがと思わされるSF濃度の濃さ。作品の社会的な背景とうまく結びついていて無理がないし、ストーリーの運びや時にはキャラクタの性格描写としてもうまく機能している。その有機的なつながりが作品全体における(いくつかの、小さな)エンジンともなっている。クライマックス、荒涼とした高高度な国境の山岳地帯を、六本脚の電気山羊と主人公がふたりで歩いていく、みたいな風景がたまらなく魅力的。

女性の一人称や、作者の言う少女達の「百合的」な関係性の描写は、正直言って失敗してる。類型をなぞりすぎてて、というわけじゃないけど、肉体的精神性っていうか生々しさって言えばいいのか、そういうリアリティがないように思われた。三人いればもっと嫉妬とか愛憎があるだろう、という。特にキアンの扱いはぞんざいすぎやしないだろうか。彼女がその場にいることで、ミァハ←→トァンという対立項目の強さや、少女同士の隠微で密閉的な関係性といったものが薄らいでしまっている。かといってじゃあ三人という数字ならではの、引っ張り強度の高い三角形があるのかというと、やっぱりキアンはサブ的な存在でしかないのだ。ちょっと中途半端。

『虐殺器官』の主体性の希薄な主人公に較べると、今作のトァンは随分と強い意志を持つようにはなった。人称を女性に変えた意味は、こういう部分ではあったのかもしれないと思う。ただやっぱり場当たり的なセリフや感情描写も多く、キアンや父親、ミァハと相対しているときでさえ何を考えてるのかわからない、茫漠とした性格の人、という印象も拭いがたい。もっと読み込めばちゃんとそうじゃないように表現してあるのかもしれないが、今のところはそんな感じ。泣いたり怒ったり、とかの感情の表出がどこかデジタルで唐突なのだ。これはもう作者の個性かも。以前ブログで「感情移入して映画を観たことなんてない」的な発言をしていたようでもあるし、多義的なとらえ方の出来る物言いではあるけど、「入り込んで、熱くなる」ようなことに対する危機感というか、そういうのを嫌がる気分みたいなものは確実にあるような気がする。それが物語の第一の意義ではないんだ、という主張があるような気もする。

読みながらすごく気になっていた、問題の“etml”文体、これは最後にオチがついて救われた。〈angry〉〈/angry〉とか〈boredom〉〈/boredom〉といったタグで囲われた文章がそのまま当事者の感情の起伏を表す、という文学史上まれに見る暴挙なのだけど、何のフォローもなく終わったらどうしよう、と相当にはらはらしながら読み進めざるを得なかった。てかこのエピローグはむしろ、プロローグとしてあった方がいいんじゃないだろうか。そのままはだめだけど、ベールに隠す部分は隠していきなりこれで始まる、とそれはそれでワクワクしそうな気がする。というか、じゃないと、俺みたいに途中で本を投げ出したくなる衝動を抑えきれない人も出てくるんじゃないだろうか。本編であれだけ世界観の解説を丁寧にやっているのだから、ここで親切であっても全然いいと思うのだけど。もったいない、というかここはふるいにかけるとこじゃないっていうか。

作者は徹底して言葉の力というものを信じている人なんだと思う。“etml”みたいな文体、様式を考え出して実行するところにもそれは表れている。「言葉だけが世界を変えることができる」、そんな思想をすら持っているんじゃないだろうか、などと言ったら、小説の内容をストレートに受け取りすぎだと言われるかもしれない。でも『虐殺器官』も『ハーモニー』も、最終的に「言葉によってセカイが変わる(壊れる)」お話だ。そのネタ、虐殺文法や人間の意識を消去するハーモニー・プログラムを実行するコードの詳細は明らかにされないのだが、そこが意外とこの人の弱点なのじゃないか、という気がする。性格が正直なのかもしれないが、そういうコアとなる部分は文学的、文芸的な「テーマ」の中に「隠して」しまえば良いのにと思う。SFというものへのこだわりがそれを潔しとしないのだとしたら、それを隠したとしても面白い作品は作れるはず、という実例はたくさんご存じだろうからいちいち書かないけど、むしろそういう小説の方が物語として豊饒さというものを獲得しうる可能性を持っているのでは、という思いをあくまで個人的にだが自分は持ち続けている。

生き抜いて、また次の作品を読ませて欲しいと思う作家のお一人です。




Posted by LittKidd - 2008.11.21,Fri
『火星のタイムスリップ』を読み終える。ひと目見てSFとわかる、良いタイトル。え、火星でタイムスリップ?一見、そんな素朴な感じでいかにもオールドスクールな印象を持たれてしまいそうなタイトルでもあるが、内容はやはりディックらしく、実に誠実に力強く(結果的に)グロテスクだった。

ディックの長編の中でも、「破綻の少ない」「構成の優れた」作品として有名なのだそうで。確かにテーマも明確だし、ことに関わる人物たちの動きのバランスが良く、ある種の(一般的な文芸作品としての)群像劇としても読めそうなくらい「ちゃんとした」感じのする小説。そこには死や実存の不確かさ、社会との関わりの上での不安、といったような大きな意味での「恐怖」があり、登場人物のそれぞれが、そこから逃げよう、なんとか「安心」を手に入れよう、ともがきあえぐ姿が、火星の荒野と、そこにへばりつくように築かれた人間の棲む都市を舞台に描かれている。

SF的には、慢性的な水不足、地球から密輸された禁制品、といったいわゆるディック的なディストピア描写や、主人公ジャック・ボーレンや自閉症児マンフレッドの恐るべき内的世界、その描写が際だって印象深い。特にマンフレッド少年がその分裂病質ゆえに持つ特殊能力、すなわち「世界と隔絶している」ことが「世界と切り離された時間軸を持つ」ことであり、つまり「時間というものを改変することができる」というガジェットというかアイデアは、ディック作品では姿を変えて繰り返し描かれるものだが、その描かれ方、その悪夢的なイメージの表現が、なんていうか、もう本当にゾクゾクするくらいに素晴らしい。マンフレッドの眼を通して、何度か繰り返される作中のある一場面。そこでは人はみな死ぬか腐っていて、だがそのことに気づかず醜い自我や強烈な欲望を生まれるがままにさらけ出しているので、マンフレッドは見たくはなくともそれを見ざるを得ない。そこには理解とか共感といったものは一切なく、ただひたすらに邪でおぞましいモノや現象が連綿と続いてゆく時空間なのだ。文章上、そうした彼の内的世界の表現がそのまま地の文とひとつながりとなっているため、読んでいる我々には、正確にはどこまでがマンフレッドの世界でどこからが正常な世界なのか、段々わからなくなってくる。小説内でも、彼の世界は他の登場人物たちを引き寄せ、巻き込んで人々の世界を浸食してゆく。ああ、絶対嫌だこんなガビッシュな世界。ガブルガブル怖い。

ラストは、他の作品に較べるとやや救いがある感じ。個人的にはもっとぐっちゃぐちゃになって終わってほしかった(『ユービック』みたいに)気もしたが、マンフレッドのためにはあの方が良かった。てかそういうのを補って余りあるくらいにちゃんと面白かったので満足。ただ、現行で出ているハヤカワの文庫版で読んだのだが、解説がちょっとひどかった。
川又千秋、この人がSF界でどんだけ偉いのかは知らないが(調べる気もしないが)、「重要だ」「傑作だ」「自分のベストかも知れない」と言いつつ、ほとんど内容にも触れなければ、ディックに関する新しい情報や優れた考察があるわけでもなく、やたらと改行の多い文章でひたすら自分の他愛もない話に終始する、というとても奇妙な文章で…普段温厚な草食動物のわたくしも、思わず天を仰いで「僕僕うるせえよこのチンカス…」とうめいてしまうような意味不明の代物でした。なんなの?馬鹿にしてんの?100パーだめだろ、こんないい加減な文章よう…別にその作家に愛情がなくてもいいから、それ以前にまともな文章書ける人に書いて欲しい。

といったようなことでせっかく本編が面白かったのに読後感はわりと最悪でした。あまり本読んで腹を立てたことないのだけど。あっひょっとしてこういうこと?「分裂気質」の「自閉症を患った人」が書くであろう解説は、まともに読まれることを拒絶するようなつまりはこういうものなのです、っていう「内容に触れずテーマだけをえぐり出す」式のそういう深〜い、実は作品の精髄に即したハイレベルな解説をってんなワケあるかボケェ。本屋で見たら手前の本は棚の奥深くにねじ込むか、返品作業用の棚の上にヒモでくくって置いてやっから覚えてろ、と思った(実際にはしません)。シェイム・オン・ユウ!
Posted by LittKidd - 2008.11.10,Mon
フィリップ・K・ディック・リポート』を読み終える。刊行順の作品解説や未発表短編、インタビューなど。正直、初心者にはこういう本は助かる。作品ごとの年代順が把握できると、タッチやテーマの近さ・遠さに納得しながら読めるし、自分の感想の整理にも繋がる。他人の評価(大森/中原/柳下/ほかの対談があった)も面白いし、じゃ次はこれ読むか、という指標にもなるので。というか好きだと言いつつ半分も読んでなかったです僕。

ということでブログもPKD一色にリニューアル。ほとんどファンサイト的なデザインになってしまいました。
よしんじゃこれから『ブレードランナー 』観っぞ!

ちなみに僕、初見です。(ええええええええええー)
Posted by LittKidd - 2008.11.07,Fri
なんでもいい!この現実世界でさえなければ!
とか常々思ってるような人にとってはちょっとというかかなり魅力的な、ヒューゴー賞・ネビュラ賞受賞の表題作をはじめとする、グレッグ・ベアの短編集『タンジェント』を読み終わりました(だいぶ前に)。

他の長編作品のタイトルとか80年代に活躍してた、みたいなイメージで勝手にハードSF一辺倒の人だと思いこんでたのですが、全然違ってた。むしろ大いなるストーリーテラーとでも言うべき作風で、実際ファンタジー作品も多く書いてるらしく、この短編集も「グレッグ・ベア傑作集」と銘打った日本編集版だけあって、ジャンルに寄らない(だがいずれもどこか不思議で、むやみに面白い!)お話が九編収録されている。それも一個一個を長〜く語れるくらいに、それぞれに高い密度を持ったお話が。まったくこんな素晴らしい本を古本屋で安く買ってちゃ罰が当たるよなあ…と思わずにやける。安上がりでいいですね。

特徴としては、やはりお話の語り口が、巧みであること。SF的・素っ頓狂にぶっ飛んでる状況も、特殊すぎる立場に置かれた人物の意外な心情も、説明したりしなかったりと、その隠し具合、明らかにされる具合のタイミングなど、その押し引きが素晴らしい。かといって単にびっくりさせられるだけでなく、う〜んと考えさせられてしまうような奥深い結末を用意していたりして、うまいなあ!と思わされる。イーガンほどでなく高度で緻密な設定と、ディックのように狂ってはしまわない、でもぎりぎりまで追い詰められた登場人物たちの選択した答えが、次々と物語のページを刻んで展開する(イーガンとディック、というところに他にSF知らないんだなこの人、という部分が透けて見えて恥ずかしいですが)。すごく面白い。表題作の『タンジェント』も良かったが、最後の『スリープサイド・ストーリー』が特にお気に入りだ。好きなだけでなく、これは映画になって欲しいなあと思った。魔法を使う娼婦の館で、囚われになった青年が愛と勇気を獲得するための冒険へと踏み出します。まだ「物語」にわくわくできる自分、というものがいる。それを知れたのはうれしいことであり、『ブラッド・ミュージック』も読まなくちゃ。と思ったわけなのでした。
Posted by LittKidd - 2008.10.08,Wed
その中をぺっぺっと唾吐きながらただひたすらに歩いてゆく。砂に足をとられ、喉の渇きに耐え、拭う間もなく絶えず流れる汗で体中べとべとになって、その道の先に何が待っているかも分からないまま。

それが僕やあなたの人生です、はい。
フィリップ・K・ディックの『去年を待ちながら』を読むと、それが真実であることがよく分かる。

どうしてこうなってしまったんだろう。こんなはずではなかった。どこからか、やりなおしはできないのか。
星間戦争という国家的・人類的な危機的状況と、妻との不和というドメスティックで個人的な問題が、二人の男を通して交錯する。その二重の構造、マクロとミクロの媒介となるのが、ディック作品でお馴染みのドラッグだ。

JJ180という新種のドラッグを服用することで、人は時間と空間を移動できるようになる。だがJJ180は同時に脳に致命的な損傷を与える。一度で中毒し、二度と元の状態には戻れない。登場人物達は、このドラッグを気分転換や一時の慰みのため、あるいは戦争における政治的駆け引きで優位に立つため、あるいはただ人を陥れるため、あるいはJJ180自体の解毒剤を手に入れるために、使う。主人公のエリックはひょんなことから服用してしまい、あるいきさつからそれを地球と人類のために使うことになるのだが、結局彼の努力では、事態は変わらない。どころか、それに巻き込まれたことでのっぴきならない立場に追い詰められてゆく。

うまくいくと思ったのに。愛し合ってたはずなのに。生まれ変わった気持ちだったのに。

大逆転のチャンスがあると思わせて、何もない。ロボットなどの無生物や昆虫型の宇宙人の営みに、より強い生命力や倫理観を浮かび上がらせる。解説にもあるように、とてもディックらしいモチーフに彩られた作品であり、ひょっとしたら『流れよ我が涙』を越えて一番好きかも。自分がディックを好きなのは、「どうにもならない」ことをあらかじめ肯定してくれているからだ、という気がする。そこに過剰にペシミスティックなものとかは別にないんだけど、「そういうものだよね」という人生観を否定しない、というか。

ちなみに俺はヨメもコドモもちゃんと愛してますよ!仲良いし!良いよね?
Posted by LittKidd - 2008.07.24,Thu
なんだかんだでようやく読み終えた、二回目。やっぱりすごい小説であり、SF。正直言って、自分が書けるようなことは何もない。この小説に関しては。

イーガンは長編しか読んでいないが、『ディアスポラ』は他の(邦訳された)3冊の長編とは、全く違った作品だと思う。テーマやモチーフ的にかぶる部分はもちろん多い。だがその成り立ちから意義まで、スケールの規模という以上に、性質面の違いで、もう同じ檀上では語ることのできないもの、と言っていいだろう。SFというジャンルを徹底的に追究しつつ、その結果SFだとかなんだとかを(量的な変化が質的な変化に転じるかのように)超えて生まれた、誰も読んだことが(書いたことも)ないような物語。現代の、これからの小説で、世界的な評価を受け、たとえば「文学の革命」と呼ばれるような作品が書かれるとしたら、それは『ディアスポラ』を読んだ、踏まえた人の手になるものでしかありえないはず。そう言い切ってしまいたいぐらい、人類と宇宙の未来に対して普遍的な示唆を含む、ノンジャンルに広く読まれるべき作品。

もしも人間が、千年間生きられるとしたら?それどころか、タイムスリップで過去にも未来にも行けるとしたら?
たとえば人間の生存環境が、今の何万倍も広がったとしたら?どころか、何光年も先の星々へ一瞬でテレポートできるとしたら?

SFは、そうした「もしも」や「たとえば」を過去何十年にも渡って開拓し、自身の歴史に蓄積してきた。驚きとセンスオブワンダーと古い自己の破壊、それはつまり新しい発想により、個々の、もしくは社会の意識領域が拡張されることの快感でもある。端的な例として、環境の変化が生物のあり方を変えるということ、その変化と結果を想像し計算することが、SFの醍醐味のひとつである、ということが挙げられるだろう。物理スケールのでかさで読者を圧倒する『リングワールド』は、そのすごく良い例だ。実際にリングワールドを建造したとして、という「たとえば」に数多くのSFファンが熱中した。

「フロリダのある高校のクラスでは、錨鎖(チェーン)パイプ・システムの装備が必要だという結論が出された。
ケンブリッジのある教授からは、〈構造材(スクライス)〉の最低引っ張り強度の概算が送られてきた。」(続編『リングワールドふたたび』の献辞より)

ほかにも姿勢制御ジェットが必要だだの隕石防禦に関するパラメータだの、もうみんなわくわくしてやっているのである。


つづく
counter
comments
[11/13 NEX-5N]
[12/13 watanavader]
[11/25 Watanavader]
[10/30 litt]
[10/30 watanavader]
searching in wissenschaft
profile
HN:
LittKidd
性別:
男性
 
Template by mavericyard*
Powered by "Samurai Factory"
忍者ブログ [PR]