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Posted by - 2017.09.23,Sat
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Posted by LittKidd - 2008.09.03,Wed
(細かい)ジャンルは違えど、ほぼ同じ映画!ホット・ファズと並んですごく面白かったです!

この人が言うには「『ショーン』の方が笑えた」ということなんだけど、たぶんそれ観た順番じゃないかな。
だって俺はホット・ファズの方が面白かったもん。

違う…劇場で(友達と)観たからだ!
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Posted by LittKidd - 2008.09.02,Tue
なんで観に行っちゃったんだろう…。魔が差した、としか言えませんが、けっこう楽しかったです。

上映後、監督と出演女優と高橋ヨシキという人のトークショーが。全くと言っていいほど知らない人たちなのに、話を聞いているうちにこの『片腕マシンガール』を応援したくなってしまう不思議。特に監督の井口昇さん、絶対憎めないわこの人。もうずるいわ、この風貌が。

トークに飛び入り参加の女優さんの方は、くりぃむレモンの実写版亜美を2回もやった人だそうで、確かにロリ的な意味でのカワイさがスゲエ。まだそのキャラで行けそうですよ!本編ではばりばりアクションをこなすばりばりなヤンママ役ですが…っていうか、この人だけ突出して演技が上手いのですごく浮いてます。いや、上手いっていうか周りがっていうか。でも皆さんサービス満点で、すごくトクした気分になれました。

感想は、すごい真面目な映画だと思った。みんな真剣です。トークでも話題になってたバスケのシーンは確かに凄い。映画史に残るアヴァンギャルドと言っていい。あそこはマジ必見。あと、映画はやっぱりロケ地が重要だと思った。ロケハンにもう1カ月使えたら…でもそこが難しいんだろうなきっと。

最後にもう一言。驚くべきことに、この映画にはパンチラがたったの5カットしかありません。いや俺は別にパンチラを観に行ったんじゃないんだ。そうじゃないんだ。でもこれだけは言っておきたいんだ。ちょ、少なすぎね?!
Posted by LittKidd - 2008.09.02,Tue
池袋のレイトショーで、こんなに客が多かったの初めて。客層は、ギャルとギャル男のカップルと、小脇に週間少年ジャンプなんかを挟んだおっきなお友達が半々、という池袋らしい棲み分け。ちなみに世間一般で言う、いわゆるギャルやギャル男らの間にも、細かい種族やカーストはちゃんと存在するらしい。よく見ると確かにカネ持ってそうなのと持ってなさそうなの、くらいの区別はつく。ちなみに今日の私は週刊少年ジャンプをしっかり小脇に挟んでいた。ギャルらから見れば、「ジャンプ持ってるオタっぽい風貌のデヴ」というカテゴリに完全に入っていたことだろう。しかもカネ持ってなさそうな方の。

まあ、しょうがないよね。実際お金持ってないし。体重80kg超えてるし。

『ハンコック』は、ヒーロー映画の皮をかぶったウィル・スミス映画だと思いました。まあ大方の人にはそんなの大前提なのかもしれないけど、「やっぱりそうだった」っていう感じの。以下激しくネタバレしますのでご注意。

アメコミ好き、ヒーロー好きの心をくすぐるようなディティールはほとんどないんじゃないかなあ。よく知らないんだけど、あるとしたら『ボリス・カーロフのフランケンシュタイン』くらい?タイツを着たコミックブックのヒーローは「赤服のゲイ」「スウェーデン人のゲイ」と揶揄されるし、ハンコックの正体、というか来歴は、宇宙人でもなければ放射線に汚染されて突然変異したマッドサイエンティストの実験台でもない、ということをわざわざセリフで念押しされる。そういうコミックっぽいのじゃなくて、神話時代のいわゆる「神」の生き残りなのだ、ていうことをしつこいくらい強調(してるように見える)。だから数千年にわたる悲恋の物語を生きてきたふたり、というプロットが成り立つんですよということなんだろう。成立してるとは思えないけど。

シナリオはかなり適当だと思う。「あの人が実はああだ」ってことがバレるあたりも何が起きたのかよく分からないし、ハンコックが弱くなる理由付けも強引。そもそも「あの人」が最終的に何をどうしたいのか、が全然明確でないので、振り回される「彼ら」の悲劇性だか喜劇性だか(どっちにとっていいのかもわからない)も際だたない。オチはありがち。エンドロールに挟んだおまけシーンだって、コンスタンティンくらいわかりやすくやってくれないと、全然気持ち良くない。

でもそんなハンコックをそこまで嫌いになれないのは、個人的には、ウィル・スミスの演技のせいだと思っている。別にうまいとは思わないし、スミスさんのファンでもないのだが、常に眉を寄せ、目が泳いで、ちょっと口の開いてるハンコックが、他人とは思えないくらいにダメっぽくて、そこがいい。あの無学で教養もなく世間知らずでどの場面でもどうしていいか分からない感じ。あの表情。そういう意味では、ハンコック自身の寂しい性格やらバックグラウンドをもっと掘り下げれば、今よりはずいぶん良い「ヒーロー映画」になったのでは、という気もする。独房の壁に遠い記憶を描き付けている場面とか、なぜワシに心惹かれるのか、とかそういう部分ね。ダメになったのには、理由がある、と。で、そういうダメな人が、ヒーローとしての自覚と責任を苦悩の末に得て覚醒する、そして強大な敵に立ち向かう。これなら立派にヒーロー映画として成立する、と思うのだけど。いや、こういうパターンになんでもハメればいいって言ってるわけではなくて、この場合、ベタだけどこうゆう方法もあるんじゃないかってこと。

アクションなのかコメディなのか。ヒーローものなのかデートムービーなのか。ギャルかオタクか、くらいの大雑把さでいいから、少しは「絞って」欲しかった、ということでもある。そこらへんが中途半端なので、ウィル・スミス映画としか言いようがない(悪い意味で)のだ。あと、監督がいくつかは知らないけど、音楽の使い方とか、ズームや極端なアップの多用に、「感性が若いなあ(ちょっとこっぱずかしいなあ)」って思ってたのだが、たとえばヒップホップとかの使い方がかなりダサい。曲がよくても、画面から浮いていることが多かった。結果「若い…のか?」みたいな印象に。あとヒーローといえばテーマ曲。劇場の音が悪かったのかも知れないが、オケがすごく安っぽく聞こえて、曲自体がなんかのパクリみたいに聴こえてしょうがなかった。

観てる間はけっこう楽しかったんだけどなあ。刑務所のシーンにはびっくり。まさか本当に突っ込むなんて!まさか本当に突っ込むなんて!をタイトルにしようかとちょっと思ったぐらい面白かった。あとミシェルが憎たらしくて最高。ハンコックの「教育」に思い切り溜飲が下がる思いでしたが、よく考えたらアイツ、本人を目の前にしてああいう態度をとってるんだよね。わりと度胸あるよ。あとはなんだろう…あ、シャーリーズ・セロンがエロかったです。そこはちゃんとしてた。
Posted by LittKidd - 2008.08.28,Thu
ハンコックは観に行ったほうがいいの?
Posted by LittKidd - 2008.08.22,Fri
久々に。でジブリで思い出したが(勝手に結びついてる)、森見登美彦氏の作品アニメ化のウワサは、だいぶ前に否定されておりました
な〜んだ。

あとトトロと魔女宅も三回ほど観直した。withムスメ。
ポニョのどこがいいかっていうと、子どもの描写が良くできてる、ということに尽きるかも。仕草や動きのパターン、口ぐせなど、細かいところが本当に子どもらしい。そういう部分でいえば、メイと五月を凌駕してる気がする。話に関しては、千と千尋のほうがよっぽどデタラメだと思った。駿の映画は、ここらあたりから、もう普通のストーリーはいいや、っていう感じが見え隠れしている。もののけ姫で、結末をわざと投げっぱなしにする方法論が成功した(商業的にも)ので、以降は「これでも大丈夫だろ」ってやってる気がする。あ、手を抜いてるって意味ではなくてです。

だからやっぱり、勝手といえば勝手だ。「権力的な映画」とまで言われてるけど、確かにそうすね。でもいいじゃない、勝手な映画作ってそれがヒットする、という枠組みを作って、それで勝手にやってるのだ。むかし、デニス・ホッパーがインタビューで『スピルバーグの映画は本当に素晴らしい。いつも次の作品を作れるぐらいヒットする、というところが』と言っていたけど、まさにそれ。最近の駿映画を批判する人たちって、よっぽどラピュタやナウシカが好きだったんだろう。よくできてて、僕も好きだけど。ただマイ・ベスト・オブ・ジブリは千と千尋です。あの悪夢的な感じ、攻撃的な感じがいい。でもあんまりこってりしてるんで、何回も続けて観ると飽きる。そういう意味ではポニョのあの突き詰めない感じは爽やかでいいです。

ただ所ジョージだけがほんとうに残念。ええまあ個人的にですけど。
Posted by LittKidd - 2008.08.20,Wed
ああ疲れた。二回目だからずいぶん気楽に観さしていただいたけど、やっぱなげえしヘビィ。もちろんいい意味で。きのう書こうとしたのだけど、忍者メンテで書けなかったす。

最初は、正直「あれ?なんだ大したことないじゃん」って思ってましたよ。結論からいうと、ジョーカーに期待しすぎてた。いやジョーカーの、ヒース・レジャーの演技は実際のところ素晴らしかった、のですが、表面的な過激さ、ぱっと見て感じられる類の凄みといったモノばかりに執着して、全体(シナリオね)が見えてない中で、予測したイメージが裏切られ続ける、という一番良くない観方をしてた。結局、「怖いor怖くない」で考えてしまうと、そりゃあのジョーカーより怖いものはいっぱいある(『ヒッチャー』のルトガー・ハウアーとか)わけで、ジョーカーをきちんとお話の登場人物としてみる、とか、あのシナリオの中でジョーカーが考えて実行していたことの意味を考える、という当たり前のことができていなかったと思う。もう途中で集中力切れてたし。観劇を心待ちにするばかりに、人の評価を先に見すぎてた報いである。やっぱ先入観ほど人の目を曇らせるものはない、と反省。でも二回観たことで(自分的な)理解は深まったからまあいいか、と納得。独り相撲だなー。

で、感想。映画というものについて、自分は何にも知らない。まったく、蟻のクソほども。そのことは確信を持って言えるし実際いつもそう感じているが、そんな自分が思うところでは、この『ダークナイト』は「完璧な映画」というものに近い。おこがましいので映画に自分なりの点数などつけたことはないけど、これはもう100点でいい。ただ…個人的な好みでいえば、レイチェル役の女優が、完璧に磨き上げられた球面の小さな瑕に見えてしまう(キャストの中で、あの女性だけが『アメコミ映画』をやっている、ように見える)のだが、そこががちょっと(まあ、だいぶだけど)不満っちゃ不満ではある。なんか、ブルースの悲恋に切実さが欠けてしまっているような気がするのだ。あと、香港に行ってしまうところ。あれは意識的に実在する都市を出してるのだとは思うが、あくまで個人的には、ゴッサムで完結するストーリーが観たかった気がする。なんかその方が、よりフィクショナルな、ゴシックかつ神話ぽい完結性が生まれたんじゃないか、とか。警察に追われ、犬を放たれても、バットマンがゴッサムを離れることはないわけでしょ?だったらあそこで、リアルな外の「世界」との繋がり、地続き感を表明しなくてもいいんじゃないかと思ってしまう。なんか「量」が中途半端なんだよね。前にも書いたけど、ローカルヒーローであることはバットマンのアイデンティティのひとつである、ということを表明したのが、『ビギンズ』という映画だった、と自分は思っているので。ってやってくと100点にならないけど、それは「『俺』が観た『バットマンの映画』」だからですねきっと。

「英雄となって死ぬか、生き延びて悪に染まるか」。劇中で二回口にされるこのセリフと、『ダークナイト』というタイトルそのものが、この作品のテーマであり全てだ。ブルース・ウェイン、ハービー・デント、ジョーカー。男たちが形作る、完全な三角錐のプリズム。そこを通った光が、屈折し拡散され、床に奇妙で美しい、強烈なコントラストを持つ文様を描いている、そんな印象。そういう意味ではやはり、光と影、その両方を背負わされて(あたかも生け贄のように)死んでゆくハービー・デントが、今作の主役のように思えた。その両脇で、けして舞台からの退場を許されないバットマンとジョーカーが、今後の作品世界の基礎部分を担ってゆく、という役割分担が明示されていたと思う。次に繋げる、という意味でもそうだが、シナリオの完成度にはものすごいモノがある。一分のスキもなく、「テーマ」というものに真っ向から対峙して、完全にそれを消化している。汚職警官、市民から攻撃されるビジランテ、ヒーローの模倣者、といった原作と共通する設定のすべてに必然性があり、それらがストーリーと有機的に結びついて、キャラクターを躍動させている。

演技という点で見れば、レビューのほとんどで誰もが言っている通り、ヒース・レジャーは凄かった。あのよたよた歩く感じ、茶目っ気とどうでもよさ、「何が一番最悪か」を考えている幸福感、ふざけているし残虐なのにちょっと愛らしい感じ、など、「ジョーカーといえば、もうこれしかない」を完全に作ってみせたと言えるだろう。ちょっと忘れることができない演技。その上でリアルに死んでしまうのだから、意地悪にも程がある。惜しいなあホントに惜しい。というのも、唐突だがゴードン好きな自分には、「次こそはゴードンの話だろ?!」って気持ちがあんだよね。すなわち、『キリング・ジョーク』(+『イヤーワン』というような)をベースにしたシナリオがあるんではないかと。活躍はしているのだが、今作、ゴードンがテーマに直接に絡んでいるとは言えない。だとすると、ヒーローの苦悩の次は、人間の苦悩が描かれておかしくない。んで『キリング・ジョーク』といえば、ジョーカーの話でもある。だから、ホント…設定上のキャラとしても、今回のジョーカーはとても面白いのだ。どこから来たのか。頬の傷はなぜ出来たのか。そういうところを意図的に隠して、つまりおいしいところを全然くれないままで、「あの」ジョーカーはもう、行ってしまった。

書きたいことはもっといっぱいあるのだが、キリないし、今日のメンテもあと10分と迫ってきた。うっちゃり。
Posted by LittKidd - 2008.08.18,Mon
すんまへん!何書いていいかわかんねえ。たかがブログだし別に大したことを書きたいわけじゃないんですが、思ってないようなことも言いたくないし。でも感想自体はそんな変わったものではないです。とりあえずもう一回観てみよっかなと。
Posted by LittKidd - 2008.08.14,Thu
大評判(らしいと噂)のインクレディブル・ハルク。うーん。ネタバレします。

ストーリーに破綻があるわけでもなく、流れもスムーズでテンポが良く、CGも迫力があって、とすごく出来の良い映画だと思った。E・ノートンも辛気臭いツラながらがんばってるし、リブタイラーも少々トウがたってはいるけどやっぱりかわいい。ティム・ロスは出てきた瞬間「最強の兵士?コイツが?」と笑いを誘われたけど、まあそんなマイナスでもない。

ただなんか、主人公がハルクじゃなくてもいけそう。ほんとそつのない、よくできたシナリオ(0〜100までノートンなのかな?)で、逃亡の動機付けからクライマックスまで、ほとんど中だるみといったものを感じさせずに進みますよね。しかしどっかで観たことあるようなプロットの連続である感じは否めず。特色のない、他のヒーローものと置換可能に思えてしまう。そういう「ならでは」感の少なさが、この映画を観ていてまったく「熱く」ならなかった自分の中で、物足りなかった部分なのかな、と思います。

じゃあその「ならでは」感って何よ?っていうと、たとえばスパイダーマンとか。糸で華麗に宙を舞うけど、あれって高層ビルのひしめく広大なコンクリート・ジャングル、つまりはN.Y.を舞台にしているからこそできることじゃないですか。ほんとのジャングルだと枝とか葉っぱとか引っかかっちゃいそうだし、かといってあのアクションなくしては「スパイダーマン」とは言えないし。だからピーター・パーカー=スパイディーってのはそういう意味で生粋のN.Y.っ子で、彼が活躍する場所はN.Y.しかありえない。ピーターの「世界」=「N.Y.」だから、ビルが壊れたり列車が暴走したり、といった破壊は、そのまま彼のダメージになる。その街と、そこに生きる市民を守るために戦う、という図式にすごく説得力があるわけです。

あとつい先日、ようやく『ビギンズ』を観まして。そのときにも同じようなことを感じたんだよね。なるほど、ゴッサムあってのバットマンなんだ、と。「今さらかよ!」と言われそうですが、ブルースにとってゴッサム・シティとは、両親から引き継いだでっかい遺産なんだよね。ほとんど自分の庭、といえるような街でありながら、犯罪や貧困、政治の腐敗といった膿の存在し続けている。そこにはブルースのコミットしてゆくべき、変えてゆくべき「世界」があって、なぜ彼がバットマンになったのか、というオリジンに、確固としたブルース・ウェイン「ならでは」の理由がある。あらためまして、最初から。そういう意味で、『ビギンズ』という作品は、本当に次の作品以降の基礎固めしかしていないとも言える。シリーズに、再び息を吹き込み直すための第一歩。こんだけ地味でも、これ必要な作業なんです。だからやります、と。その意志と覚悟が伝わった(気がした)から、僕は『ビギンズ』に感動できたんだと思う。

では、こちらのブルースは?原作なんか読んだことないし、マーヴルコミックス(というかアメコミ)自体に詳しいわけでもないので、正直大きなことは言えないのだが、この映画だけを観たとき、「ハルクがハルクであるため」の理由が、どれだけ描かれているだろうか。兵器に利用されちゃいけない、ベティを守らなくてはいけない、それはわかるのだけど…もっといえば、ハルク個人の悲しみがもっと観たかった。心拍数がアレだからアレはよそう、みたいな中途半端なギャグではなくてね。そういう意味では前作のほうが、独特のムードがあって好きかもです。犬の金玉殴ってたし。そんなの初めて観たし。あと飛ぶシーン美しかったよね。

ただ今作の、大学のとラストの戦いはわりと好き。「パワーVSパワー」で押し切らず、ハルクのすごさを見せつけながら、どうやったら面白い画作りが出来るか、ということを丁寧に考えてると思う。リアルな感じと、思いっきりフィクションぽい描写のバランスがいい。あの超音波(?)発生装置のエフェクト、カッコイイね。あとラストのカタストロフな感じとか、ヘリのガソリンへの引火をどうやって消すのか、ていうのとか。まああとはあれだね、『ハルク・スマッシュ!』ね。ゆっちゃってましたね。車田正美ばりに。

だから、観てる途中ですでに「次作に期待!もしくはスパイダーマンとのユニバースに期待(ありえね〜)!」っていう感想に固まりつつあったんですけど、最後の最後でほんとになんかそんな展開になったのでびっくりしました。まあ確かに序盤で「スターク」ってセリフでも言ってたけど。しかしほんとにとってつけたようなシーンでしたね。周りの客も、誰このおっさん?て感じで。こころなしかバーのセットも安っぽかった。いやこれでアイアンマンとがっつり内容交差してれば面白いけど、そうじゃないじゃんきっと。や、そういう風に(コミックの、ユニバース展開のように)シフトしてくのか?てかその段階行くまで、このアメコミブームは続くのか?小田切博先生のご意見も聞いてみたい所。

ということで、『ダークナイト』に期待!

ところでスタン・リーってどこで出てるの?毎回出てることすら知りませんでした。
あとMr.BLUEは、あの後どうなったんだろう。
Posted by LittKidd - 2008.08.10,Sun
心が躍る。体がふるえる。

昔読んだ宮崎駿関連の本で、『アニメーションは批評である』という(言い回し違うかもだけど)一文があって、それから何の映画を観るのでも、そのことを意識してしまう。つまり、絵を描いたり具象の造形をやる人には自明のことなんだろうけど、たとえばフィルムで馬の走るのを撮影するのは、誰でもできる。別にそのつどカメラを発明するところからやらなくちゃいけないわけじゃない。

じゃ、走る馬の絵を描こう、彫刻を造ろう、というときには…実際に近いモノをつくろうとすればするほど、対象の馬という生き物のことを知ってなくてはいけない。前足は、そろって動くのか。後ろ足の筋肉は、お尻の筋肉とどう連動して、蹄へと伝わった力が土を跳ね上げるのか。そういった、馬という生き物の造られ方、運動体としての機能の仕方に近づくことが、馬をそれだけ上手に表現する唯一の方法である、ということ。それは自分の中で馬という存在をかみ砕いて、自分のものにするということ。すなわち、馬に対する批評である。しかも馬は馬だけで走ってるわけじゃない。そこには地面があり、最低でも、摩擦と重力と大気とがあってはじめて馬は馬として走ることが可能となる。

映画に映る全てを絵に描く、アニメーションという行為は、だから世界を批評する行為なのである。
というのがその一文の解題、というか論旨だったと思う。いやだからうろ覚えなんすけどね。

『崖の上のポニョ』に描かれた何もかもが、宮崎本人をはじめとする、アニメーターなり他のスタッフたちなりの、深い観察と洞察を経て、激しい批評の錬磨の果てに生まれてきたものであることは疑う余地がない。その世界には、風が吹き、波が高まり、人が話し、雨が降って車が走り、ごみだらけの海(と地上)にたくさんの生き物が暮らしている、そういう温度やざわめきのような、ともいえる確かさがちゃんとあった。技術的なことはわからないが、水彩画っぽい背景や、ポニョやそうすけたちのいきいきとした描線(とその動き!)には、そうした「世界を造る」ための「世界へのまなざし」が溢れている。溢れて、こぼれ落ちんばかりに、ヒトの手によって映画に吹き込まれた生命を感じて、僕はすごく元気が出た。

繰り返すと、今、自分は「映画に元気をもらいました」と言っています。うわー!恥ずかしい!

でもそうなのである。映画を観るときの自分なりのお作法として、「予告編を含む、事前に出てくる情報をあまり(できれば全く)観ない」というのがひとつあるのですが、ポニョに関してはほんと色々観てなくてよかったなあコレ、と思うのです。だから深読みとかヒネった見方、ていうのは後からいくらでも出来る。まあ今回はパンフも買わなかった、それはたぶんまた劇場に行ってしまうだろうから。まず自分でキャッチできることをよく考え、そうして受けた印象と感動(!)を大事にしたいってことです。例のNHKのドキュメントも、ビデオにとってまだ観てません。

ストーリー的には、今回もいくらでも深読みできそうな要素がちりばめてある。あ、ここから先ネタバレするかもですよ。ポニョの名前がブリュンヒルデだったり、ベースがアンデルセンの人魚姫というのもあるんだろうし、「世界のほころび」とは結局何だったのか、とかまあ色々。トンネルくぐりは千と千尋にもでてきたモチーフだし、とかアレはノアの箱船だろとかボートで会った赤ちゃん(洗礼?)とか、ほんと色々あるのはあるのである。そういうのは、とりあえずあとから考えます。

で、そうじゃないところで言えば、『崖の上のポニョ』はけしてハッピーエンドなだけの映画じゃない、と思う。あのいかにも絵に描いたような(絵に描いてるわけですが)エンドマークの出方、ちょっと含みがあるっていうかなんか意地の悪い雰囲気がするんです。5歳で行く末の色んな部分を決定づけられたそうすけは、本当に後悔しないのか。自分の一存にポニョが人間であり続けられるかどうかがかかっている、その責任の重大さを理解して、受け止めていけるのか。まあもちろん悲観的に考えなくてもいいわけで、それは人それぞれでいいわけで。でもそのこと自体を考えることは、この映画のことを考えるときにわりと重要な要素のひとつとしてあるんじゃないかという気がします。

たかが子供の映画じゃないか、という人はさすがにもういないとしても、ありゃファンタジーだから、っていう意見はあるかも。でも二人のその後をリアルに想像する、っていう試みは、子供時代にポニョを観て育った人たちの心に、時限装置のように根付いていくと思う。大きくなって、たとえば恋人を失ったとき、たとえば自分の子供が生まれたとき。「あのあと、どうなったかな」ってふと考えたとき、宮崎駿のたくらみが、ひとつ実を結ぶんではないだろうか。

二歳の娘と観に行きました。映画館デビュー、大人しく観れた!エラいっ!!
Posted by LittKidd - 2008.08.09,Sat
あたらしいヤツ!あれは観せちゃだめだろーーーーー!!

…観たくなかった…(←明日観に行こうと思ってた奴)。

ウワーン。ばかたれ。
Posted by LittKidd - 2008.08.05,Tue
ウウゥ煙草が酔態…。小説の感想でも書いたけど、ビジュアルで責められるぶん、禁煙者にとって地獄のような映画でしたっす。以下若干のネタバレを含みます。

んで、面白かった。けして圧縮しただけではない(と思う)、原作のテーマをじゅうぶんに汲み取った脚本が素晴らしい。演出もさすが。個人的な感覚に過ぎないことはわかってるけども、小説の読後感と、映画の鑑賞後のそれがほとんど同じだったことに驚く。これは「映画としてのオリジナリティがない」と言ってるわけではない。というかむしろその逆。地味なシーンでアレだが、カンナミがダイナーにいる間に基地が襲撃されたあと、戦闘を終えて飛行機を降りてきたクサナギが、基地に駆けつけたカンナミに「煙草持ってないか」と聞いて、一本もらって電話をかける場面。煙草を手渡す、カット変わって火を点けてもらう、またカット変わって(カンナミは倉庫の外に移動)、外から壁にもたれた正面のカンナミと、その壁越しに電話しているクサナギの背中、というごく短い間に3つのカットを割る(それも自然に)一連の流れの中に、ヒートアップ&クールダウンするクサナギ、カンナミの安心、この時点で微妙に変わりつつある二人の関係性と、そのむかう先…といういくつもの、台詞や言葉で表されないモノを描いてる。こういうのを見ると本当にぞくっとする。「あ、映画を観ているな」って嬉しくなるのだ。

空中戦もそら凄かった。スピードとかコクピットのGを感じそうになるのはもちろん、あの「大作戦」で編隊を組んで飛ぶ大量のヒコーキの群れの迫力は、たまりません。別に普段から飛行機に興味なんていない僕がそうなのだから、好きなヒトがみればこれはもうなんでしょ、テーブルの上に山盛りのプレゼントと大好物ばっか並べられた11歳の誕生日、みたいな感じなんじゃないでしょうか。ブルーレイで観たりするとまたえらい事になるんだろうねきっと。

というかなり完成度の高い映画なわけですが、原作がそうであるのと同じく、興味を持てない人にとってはつまんない作品かもしれない。基本的にテンションの低い人たちが、死ぬだの死なないだの言ってる話ではあるので。帰りのエレベータで一緒だったカップルの女のこ(ギャル)も「あ〜超ネムかった〜」って超屈託無く言ってたもの。僕自身も原作で好きなのはやはりクサナギがエースパイロットとしてばりばりやってる頃の話だったりするし、ティーチャ(映画ではティーチャーか)との因縁(と対決!)はそれこそ映画向きだとも思うので、もし続編があるならそこが映像化されるのはすんごい楽しみです。あ、菊地凛子がすごい良かったからこそ、そう思えます。菊地サンキュー。(でもササクラが女性だと、あのあたりの味わいは若干変わってきちゃうかな…)

とまあ良いところの多い映画だけに残念だったのが、「読売新聞」の氾濫。気がついただけで7つのカットにロゴが。そのたびにあ〜まただって思うわけです。スポンサーなんだろうけど、そして「日テレなんちゃら55周年記念作品」らしいけど、あの回数はちょっとないんじゃないか。設定的には、現実とパラレルな戦後世界、となってるので、読売というグループ企業が存在しててもおかしくはないですよそりゃ。そして別に読売を個人的に特別憎んでるわけでもないけど、じゃあその社名が映画の内容に必要なものだったか?って考えると…明らかにそうではないよね。金払って好きな監督の好きな映画観に行ったらCM見せられた、ていう怒りに正当性はない?そこまで映画というものに潔癖である必要はないとしても、この作品のテーマ的にどうなの?っていうのがある。原作やパンフのインタビューでサリンジャーが引用されてますが、ホールデンならこの『いやらしいインチキ』をなんて言うでしょうね。

あと竹中直人。ギネスかなんか目指してるのか知らないけど、あのひと言ふた言を言うのが彼である必要もまた感じられない。手垢のつきまくった出たがり役者の登場に、これもやはり「またか」と現実に引き戻されました。

久しぶりにパンフを買いました(『X-MEN3』ぶり)。散香とか染紅のカタチが確認できたのでよかった。あとストールターン、小説読んで想像してたのとほぼ同じだった。あと最後ティーチャにむかってゆくカンナミが「I Kill My Father!!」って叫ぶのに「えッ?!」って思ったんだけど、そうゆうことなんですね。ホントに読みが浅いな俺は。
Posted by LittKidd - 2008.07.31,Thu
クリスタル・スカルの王国。公開からだいぶ経ってるのでわざわざことわるのもアレですけどネタバレします。いや〜やっと観に行けた。そして観に行って良かった。なんというか、そんなに面白いはずがない、という考えでほぼ完全にノスタルジアのみを期待して行ったにも関わらず…ゴメン!勇気出して言うわ!シリーズで一番好きです!って言うつもりだったけどやっぱりやめた!理由は後述。

仕事終わって、会社を出た頃に突然降り出した凄まじい雷雨。風も強くて傘をさしてるのに足下はすぐにぐちゃぐちゃに。直前までカンフーパンダとどっちにしようって迷ってたんだけど、この降って湧いたような荒天に、頭の中であのテーマ曲が鳴ってしまったから、もうしょうがない。というわけでインディにGO!結果的には良かったです。劇場で観といてほんとに良かった。

まあ宇宙人だUFOだのと、観る前からけっこう情報入っちゃってたので、展開に驚くことはなかった。けっこうアタマのほうでロズウェルって出てくるしね。知らなきゃ知らないで「え?! まさかそっち?!」っていうぎりぎりな感じも楽しめたかも。そういう意味で議論を呼んだ感のあるUFOですが、拒否反応を示す人たちの理由がよくわからないなあ。前三作のブツも、結局のところ超自然っていうか人智の及ばないもの、という点では同じな気がする。そういうものに人間が近づきすぎると報いを受けるんだよ、ていうイカロス的な古めかしい教訓話をオチにした(パロった)、冒険物語のこれまたパロディ、というのがインディ・ジョーンズの基本的な構造じゃないですか。そういう、いわば古色蒼然たる「冒険物語」を、最新の技術と巨大な予算で景気よくやったらぁ、というある意味無反省な姿勢は、新旧の作品を問わず貫かれているものなんではないかと。まあ今回無反省すぎて珍妙なプロットの連続になってる感もすごいあるけど。

そんな「冒険物語」だからこそ、まるで古い小説の挿絵のような画作りが映える。魔宮の伝説の冒頭の、アジアンモダンなエキゾチシズムに溢れた上海のクラブや、失われたアーク《聖櫃》の陽炎たゆたう灼熱の砂漠といったロケーションは、そうしたジュブナイルを読んだことのある誰もが「どこかで見たことのあるような」風景として用意されていて、そういう昔々の「絵のような」お話の中で、考古学者としてさらにむかしむかしの遺物をほじくっているジョーンズ教授、というセルフ・パロディ的な二重性が、このシリーズに独特の雰囲気とユーモアをもたらしてきたと思う。で、そっち方面での今回のネタは、1957年のアメリカ本国。アメコミでいうとこのろゴールデン・エイジ、古き良き(そして『強き』)アメリカの繁栄と進歩の象徴でありながら、反共ムードの高まりとともに、レッドパージという名の抑圧が国全体を覆い始めた頃のお話。ちょっとセピアがかった、いかにもな画面の色合いがすごくきれいで、大学を舞台にしたカーチェイスの前後などは、まるでノーマン・ロックウェルの絵のようである。待てよ、こりゃひょっとして…そう、アメリカングラフィティだ。ルーカスが、50年代の風俗とともにインディを描く。そこには「倉庫の片隅で、ちらっと見えるアーク」とかとはまた違った、シリーズ自体に対するかなり上質なオマージュがある。気がする。

でも後から気づいたんだけど、結局この映画の面白かったところって、大げさで即物的でド派手な、生理的にすごく気持ちの良いアクションと、紙芝居的にベタベタにわかりやすい、しかし超絶的にぬかりのないスピルバーグのスゴ過ぎる演出力、あとはもうとにかくスパルコ大佐に尽きてるわけで。つまり「良かった」ところって、全く『インディ・ジョーンズ』と関係のないとこばっかしなんだよ!とくにスパルコ、よくできて過ぎ!これは功罪大きいと思います。

ソビエト社会主義連邦共和国の腕利きエージェントにして、サディストの超能力者。しかも黒髪のおかっぱ。常時腰に下げたレイピアに、スパルコという姓。ブ厚すぎるプロテクト…!この氷(アイス)はやすやすとは破れねぇぜ…と、腕こきのサイバースペース・カウボーイのみんなが思ってたはず。オノ・センダイ。ところがですよ。フタをあけてみれば、あれ?このコ…え嘘…なんか…ドジじゃね?という恐ろしいトラップ。強気なわりに非道いコトできない、出し抜かれてポカンとしてる、インディに置いてかれて悔しそうな涙目…と、ブロガーの皆さんも口々に、口々に!
極めつけは密林での追っかけっこ、カメラ寄ってって、すわ、いよいよ能力発動かッ…!!!!

…何もしないでどいた!ぜったい超能力持ってないよあの娘!

その瞬間、自分の首が飛ぶ音を聞いたよ俺。スパンて。スパンコって。どんだけカワイイんだよと。
ていうか嘘、発動しないのも知ってて登場からすでに萌え萌えでした。もう完全に自分を能力者と思いこんでる、普通の、夢見る(SFとか前世とかが好きな)(ちょっとイタい)文化系(友達いなそうな)女子じゃないですかスパルコ!最後なんか「全てを知りたいの!」ってもう!胸、キュンキュンですよ。しかも手が届きそうって思ったら異次元に行っちゃうし。遂げられない僕らの思いとともに、星になった(文字通り)スパルコ。この高鳴りをどうしたら良いのやら…ていうか悪役として完全にダメじゃないか。インディ喰っちゃってるし。

あと作中で一番笑ったのは、冷蔵庫から出てきたあと、ブラシでがっしがしこすられてるハリソン・フォード。もうインディに見えないつうか。
だから、面白いんだけどさ!そうじゃなくねえ?みたいな感じで、突き詰めてゆくほどに「面白いんだからいいじゃん、こういうバカ映画で!」みたいな結論にならざるを得ない。だから面白いんだけど、インディを「そういうバカ映画」呼ばわりしたくないというか、これを一番好き、ていうことは俺、インディ・ジョーンズのこと本当は好きじゃないんじゃないか…というか、そんな思いもしなかったジレンマを感じてます。どう評価すりゃいいんだこれ、自分の中で。

「シリーズのファンとして」好意的な見方をするなら、インディ復活にあたって一番「やっちゃいけない」とされていたのは、「ショボい」と言われてしまうこと、つまりはヒットしないことだったのではないかと。全体のテーマとかシナリオの整合性とかはさておき、この映画はヒットするようには作られていると思います。そういう部分では、一切手を抜かれてはいない。

でもね。俺は、久しぶりに観た『インディ・ジョーンズ』で、気の置けない仲間や、好きなんだけど素直にそうとは言えない女と、密林や滝壺や砂漠を旅したり、途方もない冒険物語の1ページを生きることへのあこがれと喜びを、確かに再実感できたよ。わりと一瞬だったけど。あと、継承される父と子のバトン、というド定番なアレにもちょっと感動してしまいました。だけど、(イージーといえばイージーな演出なのかもしれないけど)ラストでジョーンズ新郎は、ヘンリー・ジョーンズ・三世に『インディ』を譲らなかった。

だから、カムバック第一弾、として歓迎する。おかえりインディ!次は60年代だ!
フラワームーブメントの花開く、ラブとピースとドラッグにふやけたアメリカを、さらに頑固なクソジジイになったインディがどう鞭打つのか、そこに期待します。
だから俺がシリーズで一番好きなのは…前三作でも今作でもなく、次のインディ・ジョーンズだ〜!
よっしゃきれいにまとまったっ。(まとまってない)
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