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Posted by - 2017.04.27,Thu
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Posted by LittKidd - 2009.03.18,Wed
金曜の夜、友人と『DRAGONBALL EVOLUTION』を鑑賞。
「せめてここをああしたら良いのに」みたいな手がかりすらないつるつるな仕上がりが、春を先取りするかのようないっそ爽やかな気分を誘う。
原作に比較的忠実だったのはヤムチャ。チェホンマンを薄くした感じの、頭悪そうなチンピラ顔のヤムチャ。謎の火山帯で溶岩に金玉を炙られ、「タマが!タマが!」とヒィヒィ言って熱がるヤムチャ。どっちも原作にはないヤムチャ像だが、「ヤムチャはこんなもんだろ」という認識においては間違ってない。でもそこはどうでもいいよ!
ほかの見どころはチチの乳くらいです。

あとクライマックスのかめはめ波で、物理法則を無視した(演出的にも意味のわからない)動きに笑いが止まらなくなりました。あと久しぶりに原作を読みたくなりました。
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Posted by LittKidd - 2009.03.11,Wed
『ピューと吹く!ジャガー 〜いま、吹きにゆきます〜』

へんぴなとこでしかやってない!ということでなかなか観れずにいたのだけど、結局「流山おおたかの森」という一番へんぴな場所(ウチの近所)で観ることができた。

な〜んにもないところに(なんせ〈準絶滅危惧種〉『おおたか』の棲む『森』だ)、TXの駅と東武野田線の駅と髙島屋ベースのショッピングモールがズガン・ズガン・ズガンとできた周りに、マンションがいくつかあるだけという無理のある街なので、ひと昔前の(って言っても伝わらない気がするけど)つくば学園都市のように、すごくきれいで新しくて生活臭というものがほとんどない。映画を観終えてモールの外に出ると、ペデストリアンデッキで繋がった駅までの道のりだけが強烈な照明で照らされ、その人影もまばらな寂しさ・清潔さがなんだかイメージ上の近未来都市を思わせるのだった。

映画はかなり面白かった。原作のテイストを保ちつつ、映像/映画というフォーマットならではの面白みも加味されてるという点で、いま「観るジャガー」を作るなら、蛙男商会しかいないだろう!と言い切れるぐらいに両者の相性は抜群にいい。というか、OVAや実写版タイトルの経験から、蛙男商会なりのジャガー像を作り上げてきた、というほうがきっと正しいのだろう。それほどこなれていたし、地続きの世界観に安心感があった。

原作者のうすた京介は、けして絵がヘタではない人だが、作品の傾向から、あまり「描き込まない」人ではある。絵が「軽い」からこそ生きるギャグとか間というものがあるし(ギャグ漫画はほとんどがそう、とも言えるが)、なによりあの手癖でダラッと描きとばしたような描線が独特のゆるい雰囲気を生んでいる。そのゆるさが、蛙男のフラッシュアニメと実に合うのだ。蛙男の絵はわりとカクカクしてるのだけど、コピペとか反転しただけ、とかがもろに分かってしまうあのペラペラのお手軽感が、そこをうまい具合に繋げている。ゆるいテンポのボケ・ツッコミとそれに合わせた微妙なリズムの編集もプラスに働いている。観ていて、前にワンダフルでアニメ化された『すごいよ!マサルさん』を思い出した。ひとつひとつのボケをいちいち「大事にしない」で、矢継ぎ早に繰り出すこと、その物量で5分ちょっとの枠をダイナミックに凌ぎきる、という凄いことをやっていたが、実はあれをものすごく丁寧に「引き伸ば」した、というか適度に「薄め」て分かりやすくしたのが、今回の蛙男の方法論だったのでは、なんてことも考えたりした。ていうかOVAも蛙男の他のアニメも実はちゃんと観たことがないので、強引な推測にすぎません。ごめんよ!

本編の前にやった『エト』は、うすたの短編集『チクサクコール』から同タイトルをアニメ化したもの。ていうか原作をスキャンして動かして、音を付けた紙芝居。いやホントごめんな、正直、あれならない方がマシだと思った。うすたは実写版のほうでもう充分過ぎるほどのダメージ(たぶん思い出すたびに半泣き)を受けてるので、もうちょっとまともな(もしくは逆にしょうもない)モノをつくってあげないとちょっと可哀想だと思います。
Posted by LittKidd - 2009.02.25,Wed
映画の感想を書いてると、それが面白い映画であれ、つまんないもんであれ、だんだんどこか根本的にむなしくなってくる。言葉を連ねるだけ、大事なとこから遠ざかるような感覚。自分みたいな中途半端なスタンスでは、あんまりやるべきものじゃないのかなと思うようになってきた。『チェンジリング』もだからきのうのでよかったのだが、何にも言えないままだとやっぱちょっとふがいないって気分が残るので、外野席からヤジを飛ばすような感じで言い逃げしたいと思う。ネタバレします。

とびきり特殊な事件というか出来事なのに、そこにある普遍性はただごとではない。ただの事実として、こういう母子がいてこんな不正がこんな凶悪犯罪の影で行われていました、という資料からこの脚本を起こした人がまず、すごいと思った。警察という組織の腐敗や、連続殺人犯の行動から、人間の汚れゆく様、どこまで他者に無感覚になれるのかということを描いてもいるし、あんなデタラメがまかり通る社会の恐ろしさ、それを想像することの重要性を訴えてもいるだろう。警察幹部や精神病院の医者はほんの幾分か戯画的に描かれていると思う。だがそれが陳腐にならず、逆に十分に効果的なのは、アンジェリーナ・ジョリー演じるあの母(クリスティン)の姿に、圧倒的といっていいリアリティが備わっているからだ。

どこででも、そして誰にでも、「戦うか否か」という二者択一が突きつけられることがある。「戦わない」という選択はできるかもしれないが、それ以前の「どっちか?」という問い自体を、生涯にわたって避け続けることのできる人はそういないだろう。やるとやらざるに関わらず、人生に戦いはつきものだ、ということだ。クリスティンが見せたのは、命を脅かされないとも限らない、しかも望まずに巻き込まれた理不尽極まりない戦いのさなかでも、「誇り」と「愛情」を忘れない一人の人間の姿である。そしてそれは、探し求めた息子の行いでもあった。生存を信じた息子が、誇りに思える人間であったこと。映画の終盤で明らかになるこの事実に、ほんの少しだけ、救われる思いがする。一切が報われるわけではない。ただ、そうすることがベストだ、と思えることをやってくれた。そのことの嬉しさ、その感情。それはやっぱり「誇り」とか「信頼」とかいう言葉でしか(僕には)言い表せなくて、それが例の、映画を語るむなしさに直結するわけなのだが。

あと本当に欠点らしい欠点がない、隙のない映画だとも思う。20・30年代のアメリカの風俗の再現性や、シーンの構成・適切なカットなどの、映画的な妥当性といったものに関してほとんど無知な自分だが、これが文字通りの意味で「高級な映画」だということくらいは分かる。嘘くさくなるぎりぎりのところで下品さを排しているし、それなのに物語としてものすごく豊かだ。下手したらサスペンスとかのジャンルものとされてもおかしくないほど、「面白い」仕上がりになっている。そうした面白さ、あるいは物語のリアリティが、細部まで行き渡ったこだわりによって支えられているのだということを実感できる(通は通なりに、庶民は庶民なりに)映画でもある。

毎日jpの映画紹介の記事で、「観客の反応は多分、日本の方がいいだろう。なぜなら、この物語はわれわれに北朝鮮の拉致事件を想起させるからだ」という一文があった。この意見には賛成でも反対でもない(正直そうかもしれないな、とも思う、ただ自分は北朝鮮のことは思い浮かばなかったので)が、そして実際の所うがった意見なのかもしれないが、それってわりとどうでもよくないか。国とか民族とか、大きな括りでいかにも腑に落ちる話にまとめるテクニックは、この映画のスケールにふさわしくない気がする。

これは魂の在り方というものを描いた映画だろう。そのありふれた要素が心を打つのだ。
Posted by LittKidd - 2009.02.24,Tue
(子持ちの身になった今)子どもの話ってもはや冷静になんか見れない、というのを『闇の子どもたち』観たりとかとか『消えた少年たち』読んだりとかでなんとはなしに感じていたのだが、『チェンジリング』もそういう視点で観るとちょっとツラすぎてまともに鑑賞できなそうな作品ではある。ただ、そういう所に留まっているだけの映画でもない。実話を基にしてるかどうか、ということもこの場合あまり問題ではなくて、もっと言えば1920年代後半〜のアメリカのお話であることや、さらには子どもを失った(かもしれない)母親の話であることすら、この映画のコアな部分にはあまり影響してないんじゃないか…

…てなことが思われるんだけど、頭がまだグラグラしててまとまらない。それぐらい重い一撃だった。正直手に余る。こういう「すごい」くらいしか(自分には)言いようのないモノを観てしまうと、映画とか小説とか、そういうものって一体何なんだろうと思う。うーん、語る言葉を持ってないです。アンジェリーナ・ジョリーもすごい。
Posted by LittKidd - 2009.02.15,Sun
金曜日、珍しく外での打ち合わせ。予想外に早く終わって夕方までぽっかりと空いてしまったので、お昼も兼ねて『ベンジャミン・バトン』観てきました。まぁサボリともいいます。いんだよ午後はヒマだったから。

以下感想(思い入れの激しい感じの)です。長くてうざいです&ネタバレします、ご注意ください。

面白かったんだけど、なんか釈然としない。具体的に言うと子どもが出来てそれにびびったベンジャミンが家庭から逃げ出す後半の展開、これがすごく不満だ。そこ以外がほんとに素晴らしかっただけに残念である。

ベンジャミンは逆行する時間の中を生きる、いうなれば通常の時間の流れの外側から来た存在だ。それゆえ誰とも並んで走ることがなく、つまりは接する人たち全て(いわば世界)とすれ違うことでしか生きていけない。これはベンジャミンが生まれながらに持たされた寓意だ。なぜそういった寓意を含んだ人間が生まれたか。ベンジャミンの投影でもあるあの時計のことを考えればわかるが、そこに明確な理由はなく、別にそれはそれでいいのだろうと思う。あの時計は時計職人の意図によって生まれたわけだけど、彼はそうすることで本当に時間を巻き戻そうとしたのではなく、(彼自身が言うように)あの時計しか作れなかったからそうしたのだ。同じような理由(=理由の無さ)でしか、ベンジャミンの誕生の意味を説明することはできない。
物語は、「寓意の表現者」たるベンジャミンの人生を追うことで、その時々にすれ違う人々の生を照らし出し、強烈に浮かび上がらせる。これがこのお話の仕掛けであり、肝心の寓意の果たす機能でもある。逆回りの生を生きるベンジャミンにとって、出会う人全てがいつかは離れざるを得ない、つかの間の同居人でしかない。たとえそれが愛する人であり、自分の血を分けた子どもであってさえも。このジレンマの強さ、せつなさがそのまま物語の基調となり、そこにこそこのお話のドラマが生まれているのである。

だが、それ以上のものが欲しかった。ここは欲しかっただろう。だってアイデア先行で勝負する、テーマ偏重の短編小説ではないのだから。
言い換えれば、短編というボリュームでならそれで逃げ切れるのだ。その程度には優れたアイデアだ、と言うこともできる。だが3時間にも及ぼうかという上映時間の中で、ブラピという肉体をまとったベンジャミンは、僕の中であまりにも「生きて」しまう。その誕生から死までを見つめるあいだに、僕にとってどうしようもなく、一人の生きた人物として意識されてしまうのだ。また、そうでなくてはならない。そうでなければ後述するこの作品のいくつかのメッセージが成立しない。つまり、ストーリーに隷属する「寓意の表現者」というだけの存在を超えて、ひとつジャンプした場所で、ベンジャミンは「人間」として生まれ変わらなくては(そういう風に描写されなくては)いけなかったはずだ、と僕は思うのだ。それはすなわち、父親として家族とともに人間社会の一員として生きる、という選択である。デイジーを愛し、キャロラインのことを愛していたのなら、彼女たちのためにも共に人生を戦うべきじゃないのか?ストーリーのテーマに組み敷かれ、道具としての運命から逃げ出せなかった主人公の造形が、結果ストーリーの豊饒さ・強靱さの欠如を物語る第一要素となってしまった。アイデアに血が通い、肉を持ち、動きだすには至らなかったということだ。

劇中では何度か、登場人物の口を借りてこの映画の発するメッセージと呼んでもいいものが表明されている。

ベンジャミンを育てた、施設のクイニー母さんはこう言った。
「いろんな人がいて、いろんなことがある。だから今、生きていることに感謝するの」
タトゥーを愛したチェルシー号の船長はこう言った。
「おれはアーティストだ。おまえも好きな道を生きろ」
ベンジャミンと別れて老年を迎えた人妻エリザベスはこう言った。
「年齢は関係ない。誰だってやりたいことがやれるはずよ」
大人になって、久しぶりに再会したデイジーはこう言った。
「人生で起きることは、前もって全て決まったことだ、って話知ってる?これはそうよ! …(中略)… あたしはそれを運命って呼ぶわ。そのほうが好きだもの」

どれも正確にはこういう言い方じゃなかったかもしれないが、こんな感じの話だったと思う。この中でデイジーの言葉だけが、どこか違和感をともなって自分には聞こえた。

ベンジャミンは、そのデイジーの言葉を選んでしまった。つまりそういうことだ。自分の体質と、そのせいで将来起こるはずの不都合、家族にかけるだろう迷惑や子どもへの悪影響を恐れたベンジャミンは、「ひとりで生きる」という選択をする。自分を待ち受ける「運命」から逃げようとすることで、逆にそれが動かしがたいものであることを認め、もはや彼の生きる場所であったはずの「家族」から、と同時に、かばかりか一気に映画の外へと、ベンジャミンは退場してしまうのだ。それはベンジャミンだけでなく、誰もが持つ「人生と戦う権利」を放棄する、ということのメタファーでもある…そうとれてしまう。
何年か経って現れたベンジャミンは、「CGでつくったティーンのブラピ」を見せに来たようにしか思えなかった。再会の夜、ベッドをともにし、服を着るデイジーのしまりのない尻や背中が痛々しくてたまらないのは、それが愛する人との久しぶりの美しい時間、などでなく不倫という裏切り行為の後でしかない罪悪感や悲壮感、相手の若々しい肉体を見てしまうことへの嫌悪などを、観ているこちらが感じ取ってしまうからに他ならない。もちろん意図された通りの演出ではあるのだが。

僕の中で膨らんだ「自分の望む人生を、できれば素晴らしい人生を生きてほしい」というベンジャミンへの期待は、以降急速にしぼんしまった。認知症にかかって日に日に子どもに戻っていくベンジャミンの姿には、もはや特別なものは何もない。その末期に何のドラマ性もないし、あれは悲劇ですらない。寂しい後半生を送った老人が、かつて愛した人に看取られて死んでゆく、たったそれだけのことだ。

そんなもの、映画で観る必要があるだろうか?
戦って負けるのはしょうがないだろう。でも戦おうともせず、尻すぼみに朽ちてゆく主人公の魂を見るのが辛かった。まあ個人的に、そういう風に思ったってだけの話ですケド。でも個人的な感想以外、映画について語れるものなんて持ってない。

17歳を迎えたベンジャミンがチェルシー号の乗員として大海に漕ぎ出すあたり、もうワクワクしながら観ていた。人妻エリザベスとの恋愛、戦争の体験、船長との別れ、デイジーとの再会とふたたびの別れ、実父との邂逅。すべての人びとが、ベンジャミンと彼らとのふれ合いが、輝いて見えた。観に来て良かったなー、と思っていたんだけども。

あと現代パート、これって要るのかな。結局子どもが生まれたこと、デイジーがいつかは死ぬことなども、彼らの人生を順を追って観てればわかることだろう。ていうか最後、デイジーがこうなった(現代になる)、ていうので良かったと思う。交互となる構成が、単に「長い上映時間の中だるみを解消」するためのもの以外に特に機能してない気がする。娘のキャロラインの存在がまた厄介だ。ベンジャミンとデイジーの成し遂げた何か、育んだ何か、たとえばその精神が彼女に引き継がれるとかいったような話ではないので、結局狂言廻しというかナビゲータとしての役割しか果たしていないように感じられる。それじゃ可哀想だよ、なんか。「なにをやってもうまく行かなくて…」なんてしみったれたセリフしか印象に残らないし、後の世代を生きる者がこれでは、「努力しても運命は変えられない」みたいな結論になってくる。すくなくともそういう印象。それじゃあ辛すぎるし、クイニーや船長のメッセージはどうなるのよ?

ブラピ、ケイト・ブランシェットの演技は超いいし、映像的にも「観たことない」って思うような美しいとこがいっぱいある。細かい部分もすごく良いとこたくさんなのに、手放しでホメられないのがくやしいです。だってさー…。そうだ、結局、あの「ロゴがボタンでできてる」とこも、そんなに効いてないでしょ?だってベンジャミン、ほとんどボタンにタッチしてないんだもの。そういうとこも含め、フォレスト・ガンプの脚本チームが作った(あ、観たあとで知りました)にしては、詰めが甘いと言わざるを得ない。
Posted by LittKidd - 2009.02.07,Sat
父親が泣いてるのを、一度だけ見たことがある。

チェ・ゲバラのドキュメンタリーをテレビでやってて、それを一緒に見ていたときのことだった。ふと見ると、父の頬に涙の筋。番組が始まって数分である。早ッ。どういう涙なんだそれは。聞くのも面倒なのでそのままテレビを見ていたら、「このゲバラという人はなあ…」と問わず語りに語り始めた。いや、だからそれ今テレビでやってんじゃんか。などと言うのも冷たいかなと思って語るにまかせておくと、「いかに自分は革命戦士として生き、そいで死にたかったか」という話であった。ようはこうして家庭など持たずに、自由と社会主義を獲得するための闘争に身を捧げたかったらしい。じゃあ持たなきゃよかったのに!しかもそれを息子の俺に言われてもなあ…たしか中学に上がりたてくらいの時だった。

『チェ』の1と2は淡々とした映画だった。二本はほぼ前後篇と言って良いだろう。ゲリラ戦がどういったものであるか、ということを単に延々と描写している作品と思った。ミニマリスムなどとまでは言わないけど、その戦い、独立運動の背景にどういった問題があるかとかゲバラがどんな実績を残し世界中の若者にどんな影響を与えたのかとかっていうことをほとんど省いて、ただチェとその仲間たちとの戦闘に同行しているような気持ちになる。ゲリラ戦は、辛い。銃が重いので行軍はしんどいし、腹も減るし眠くてしょうがない。何より、戦闘が怖い。そりゃ脱走もするわな…とか思ってみてると、1の最後、サンタ・クララでの市街戦はそれなりに派手に(映画的に)盛り上がったりして、よくわからない。面白かったのだが、どう面白かったかを説明するのがけっこう難しい面白さだなあ。どっちももう一回くらい観てもいいと思うくらい好きなのだけど。

ゲバラのことをもっとよく知っていれば、1での国連での演説とか、2でなぜ彼がボリビアに活動の場所を移したのか、とかっていう所にも一定の思いを馳せることになったかもしれない。映画そのものには全然関係ないけど。
Posted by LittKidd - 2009.01.21,Wed
母屋に住んでる兄夫婦は、ガレージに一人暮らしするシャイで変わり者の弟ラースのことが心配。いい歳で町の人達の評判もいいのに、いまだに独り身だし彼女がいたことすらない。そんなラースがある日、紹介したい人がいるから、食事に招待してくれないかと言ってきた。兄夫婦は大喜び。「30分待って。準備をするから」「静かな男にはいつも驚かされるよ。お前もやるじゃないか」そんなやりとりがあって、カットが変わると、ソファの上でニコニコするラースと、その隣に座らされた等身大のリアルドール(ダッチワイフ)がいる。彼女の名はビアンカ。向かいのソファには、事態を呑み込めずに唖然とする兄夫婦の姿。やおら話し出したラースのセリフの中で、タイトルの一文が語られる。ブラジルから来たんだよ、と。

『ラースと、その彼女』は、かなり面白かった。顔をしかめたり何かブツブツと呟いたりといった本当のチックらしい動きや、ラースのいやらしい部分(激昂したときの嫌な感じの口調や、女性を見る怯えたネットリした目つきなど)をキッチリやり切った主役の演技も良かったし、マーゴというヒロインの娘(カワイイ)、兄や兄のお嫁さん(この人がまたカワイイ)、ラースとビアンカを診る女医のおばさん(けっこうカワイイ。マジで)などの脇も良かった。あとラースがそうなった理由とか、あるいは物語から得られる教訓だったりとかっていう部分を押しつけがましく提示しないところがすごくいい。ここを抑えるのがこの映画にはすごく重要で、テーマ自体の成立にも不可欠なことだったと思う。

大人になること、愛すること、生きてゆくこと。人の営みとは、ほとんどの場合において他者の存在というもの抜きにはありえないものだ。どんな人でも、自分が生きて動いていることの背景には、いろんな人々の助けや影響があってそれが成立しているのだ、ということを普段は忘れがちだが、この映画はきっと、万人にそうした事実を思い出させてくれる。万人とかいうと胡散臭いんだけど、それくらい言ってもいいくらいの普遍性がある。ダッチワイフを人間だと思いこむ男の話…ぱっと見はエキセントリックというか突飛だが、その実、家族とか人生といったものすごくありふれたものがテーマだからだ。逆に「素敵でハートウォーミングなファンタジーですね」と簡単に切り捨てることだってできる映画でもある。そういう風にしか見ない人の気持ちも、分かる気はする。

ある人にとって、この世界はふたつに分かれている。ビアンカという一人の女性が生きている世界と、いいやビアンカはただのゴムとシリコンのエロ合成物である、という世界。むこうとこっちは皮一枚のようにも、また果てしなく遠く隔てられているようにも見える。ビアンカは特殊な例かもしれないが、誰もがこのハサミを持って、世界をずたずたに切り刻んでいるとも言える。好きな人、嫌いな人。メリットとデメリット。美人と不美人。男と女。自分に関係あるもの、関係ないもの。オイシイこと、メンドくさいこと。イケメンとキモメン。こっちと、あっち。でも本当は、世界はひとつなんじゃないだろうか。未分化の、未消化の問題や愛憎のごった煮、気が狂いそうな位に熱々のカオス鍋。だからよく切れるハサミを持ってる人ほど、うまくこの世を渡っていける。てゆうか自分や家族のために渡って行かなくちゃならない。生きる、ということはある意味で切り捨てることなのだ。

まあ話をデカくしすぎて結論を見失ってるわけですが、俺の感想は、「ちょっとした思いやりが大事」ってことです。いや本当にそう思うよ。矮小と言われれば返す言葉もないけど。

一番印象に残ったのは、ボウリングのシーン。
ラースの「成長」と人間的な幸福が、画面から溢れださんばかりです。
Posted by LittKidd - 2009.01.16,Fri
ネタバレします。以下感想。

なにこのホームコメディ。前作でヘルボーイとの友情を育んだマイヤースは南極へ左遷。ヘルボーイとリズとはすっかりステディな関係に。エイブとの友情は安泰。そんな感じに何のドラマも軋轢もなくまったりと固まりきった関係性の中で、適度にファンタジックでキモかわいいクリーチャーをアクセントにひたすら延々と展開するゆるいシットコムみたいなのが最後まで続きます。

一応、縦軸のストーリーもある。雑魚倒して中ボス×2倒してお姫様助けてセーブポイントで回復してラスボス倒して最後ちょっとしんみりみたいな、20年くらい前からあるRPGのようなものが。

もちろんそういうのがいいっていう人もいるだろうし、上に書いたようなことが必ずしも悪いとは思わない。そういうジャンルだし、そこから逸脱していればいいものが生まれるわけでもないだろう。決まり切ったストーリー、でも面白い、という映画だって山ほどあるはずだし。そこで、自分にそんな言いたい放題の権利があるとも思わないけど、こう、ここまであまりにもゆるくて工夫がなくて、そんなことばっかり気になる映画はやっぱりつまんない、というふうに思ってしまった。びっくりするくらいに、新しいアイデアがない。ラストがまんまカリオストロ(途中、もののけ姫も挟みます)なんだけど、そういうのに代表される「ボクおたくなんです」っていうオマージュだかリスペクトだかよくわからない何か(の表明)がけっこう気持ち悪かったです。気持ち悪いっていうか居心地が悪くて尻がムズムズするっていうか。好意的に観ようとしてたんだけどなあああああ。


〈どうでもいい追記〉
自分はパクリとかオマージュとかパロディとかが悪いとは全然思わない。むしろ推進派。
それで面白くなるならどんどんやればいいと思う。面白きゃ。

〈どうでもいい追記2〉
あのヨハン・クラウスとかいうエクトプラズムのドイツ人の新キャラはけっこう格好良かった。
きっと原作のまんまなのであろう。
Posted by LittKidd - 2009.01.12,Mon
DVDで鑑賞。

同監督の『ロイヤル・テネンバウムズ』がちょっと苦手だった。サリンジャーやアーヴィングの香りが強く感じられ、そういうテイストが自分には向いてそうに思っていたのだが、そう思っていたほどには乗りきれなかったのだ。内容的に『ホテル・ニューハンプシャー』に似てるけど全然つまんないじゃん、みたいな感想を(個人的に)途中でもう持ってしまい、映画に入り込めなかった、というところもある。

なのでこの『ライフ・アクアティック』はなるべく心を無にして先入観もナシに観た、つもりなのだが、やっぱり乗りきれなかった。オフビートな笑いは好きだし、変に角度をつけない、正面からのショットも好きだ。編集の間もいいし、ストーリーも荒唐無稽でいい。いろいろ考えたけど、多分自分にはオシャレ過ぎるんだと思う。あとはなんかうまく言えないけど、映画エリート的なところ。至極スタイリッシュだし、そういう破綻のないところが、この監督を遠く感じてしまう理由と思えた。

良い/好きなところ…
ベラフォンテ号の断面図のようなセットを、ズィスー親子がケンカしながら縦断(?)してブリッジまで登っていくシーンは、教育テレビ的なかわいらしさがあってすごくいい。団員たちの青いユニフォームと赤い帽子がキュートだ。ギターを弾き語る黒人の歌はどれも素晴らしい。原曲は全部D・ボウイなのだそう。サントラが欲しい。あとウィレム・デフォーが最高。最初誰だかわかんなかった。

全体の色調のポップさとか海中生物のあり得ない愛らしさとか、まるでコントのようにキャラの立ちすぎた登場人物たちを見ていると、ことさらに「これは作り物なんですよ」と主張しているような印象も受ける。スティーブとネッドの関係も、スティーブが無精子であることからどうも本当の親子ではないっぽい。またチーム・ズィスーの作る「記録映画」だが、100%事実に基づいて制作されているのかどうか、かなり怪しい部分がある。全てがイミテーションなのか、と思ったところに、本物のジャガー・シャークが現れ、皆がスティーブの体に触れる。スティーブとネッドの関係も、いわゆる本物の親子らしいものへと変わってゆく(変わりかける)。

そんな風に考えていくとすごく感動的なラストにも感じられるのだが、うーん。
もう一回観たほうがいいのかなあ。
Posted by LittKidd - 2009.01.11,Sun
いい大人がふざけて何やってるんだ!いい加減にしなさい好きだッ!

これも去年観てまだ書いてなかった『エグザイル/絆』の感想を要約すると、上のような感じになる。とにかく無反省に楽しい。劇中の男たちの姿がそのまま制作陣に重なって見える、というほど監督他のスタッフ、キャストのことを知ってるわけではないけど、重なってるにちがいないよこの人達は。そういう幻想を抱きたくなるほどに愛せてしまう映画。他にぐだぐだと言うこともない、こういう「友」達がいるなら、その人生は最高に幸せだろう。

五人の繋がりも素晴らしいが、金を警備してた警官?ガードマン?のライフル使いが渋すぎる!
もう一回観たいなあ…全ての男たちにおすすめです。

男は、心意気だ。
Posted by LittKidd - 2009.01.08,Thu
去年観ていたのだけど、まだ書けてなかった『アンダーカヴァー』の感想を。面白かったです。

印象としては骨太、そして地味!男臭い、奇を衒わないストーリーを堅実な演出で見せていく、何というか自分にとってはすごく口を出しづらいタイプの映画。よくは分からないけど、たぶんめちゃめちゃ映画づくりが上手いと思うんだよね、この監督は。普通の会話のシーンもアクションシーンも、すごくオーソドックスに、過不足無い情報を次のシーンに堅く繋げてゆく、という当たり前のようで難しいことを本当にきちんとやっている。かといって教科書通りの素っ気ない映画ではなく、ちゃんとストーリーにグイグイ引き込まれて行きます。

あんまり細かいこと言うとまた間違いそうで怖いのだが、カメラを変に動かさないんだよね。一貫して飾り気のない、すごく王道な感じの画作りをしてるということもあるし、主観/客観という観てる側(カメラ)の立ち位置を中途半端にスイッチしたりもしない。銃撃戦で手持ちのカットになったりもするんだけど、最近流行りの手法のようにカメラをぶんぶん揺らしたりはしない。あくまで臨場感を添えるための必要最小限な手ブレが、効果の一つとして使われる程度。ただそれがそれだけか、というとそうではなくて、ドラッグの工場(アパート)の銃撃戦のシーンでは、ホアキンが窓を破って外に脱出するシーンを、「部屋の内側、頭から窓に飛び込む(突き破る)ホアキン」→「落ちるホアキンの見た目」(一瞬)→「落ちてくるホアキン、フェンスで腰を強打して地面に叩き付けられる」というカット構成で、テンポ良く、いかにも痛そうに描いている。こういう視点の入れ替わりはとても「映画的」で、余りにも「正統派」なカット割りとも言えるけど、それがすごくスムーズに行われるので、その巧みさに気づくことがもう難しい。

同じようなことがストーリーやキャスティングにも言えて、悪く言うとそこに目新しいものは全然無いわけです。どこかで聞いた様な話だ、ってのはいろんなひとが言っている(俺は映画を知らないのでよくわからないのですが)し、演技に関しても皆さん堅実に上手いなあ、という印象。素っ頓狂な話や人物がいないので、そこが寂しいといえば寂しいです。ただ本当に、映画としてはちゃんとしてる。演出が見事なのはアクションだけでなく、たとえば潜入捜査がばれて保護プログラム下に入った、ホアキンとエヴァ・メンデス演じるプエルトリカンのめっちゃイイ女のヒロインがモーテルでケンカをするシーンでは、罵声やもみあう音をバックに、カメラが一度廊下(もしくは隣室?)で待機してる警護の警官の画になった後、また二人の言い争いに戻ってくる。外の警官のカットを一度挟むことで、二人の神経を苛むぴりぴりとした状況、狙われていることの緊迫感が印象付けられ、苛立ち、互いを責めてしまう(ケンカの原因は別にあるのですが)二人の精神状態に、一種の説得力を与えています。こういう何気ないとこが丁寧だし、親切すぎないわかりやすさでいい。

美しさが際だっていたのは、土砂降りの中のカーチェイスの場面。雨で視界が悪く、ほとんど「白」と「黒」、という極端に色数を落としたなかで、命の奪い合いが淡々と、だがすごいスピードとテンションで行われているという状況を、静か〜な音と共に見せている。こういうのは本当に映画(時間芸術)ならではですね。絵や小説では描けないものだと思って、感動した。撃たれた父親の後頭部の動きが最高に最悪な感じで、絶望感、グラッ。

物語は最後まで意外な展開ナシで進みます。あ、これで終わりなのねという感じ。だから足りないモノがあるとしたら、重厚感?とか荘厳さ?みたいなものかしらと個人的には思う。あんまりストレート過ぎるのかも。あとこの映画に関しては、テーマとかはどうでもいいなあ。テーマは「家族愛」で済んじゃうもんなあ。ラストの卒業式(?)で、一瞬元カノに見えた女性がよく見ると別のヒト、という演出が一抹の寂しさを添えてはいる。そういえばエヴァ・メンデスは、冒頭の片乳サービスがものすっっっっごいエロくて良かった!あとパーティーしてる部屋に紫煙をくゆらせて入ってくる(ハイスピードで!)カットも最高にエロカッコイイです。『ゴーストライダー』も早く観なくてはッ。
Posted by LittKidd - 2009.01.06,Tue
『地球が静止する日』観てきました。ネタバレします。

オリジナルも観てないし、この映画がどこまでマニアックさを追求してるかはイマイチわかんないのだけど、冒頭のタイトルからもういきなりレトロSFなにおいを忍ばせてきてる感じはけっして天然ではないと思う。曲も古めかしいし。スコア、オリジナルと一緒だったりしないのかな。

脚本は穴だらけで、大のおとながなにがしかの感慨を受けるようなモノでは全くない。クラトゥさんが思い直す理由も俺には全然わかんねえ。でもまあいっか、と思えるようないいかげんさはあって、そこが味。チープな美味しさ、すなわちB級グルメっていう風に割り切ればそれなりにいける定食屋、と思っていただければほぼ間違いない。「ぜいたくな」っていうのはキアヌ主演な部分。キャシー・ベイツとジェニファー・コネリーという脇も、ちょっぴり(だが無意味に)ぜいたくといえばぜいたくかもしれない。ただ残念なことに、久しぶりに見るジェニファーは(しなび方も含めて)浅野ゆう子にそっくりです。

あの風化みたいに見えるエフェクトは、メカニズムがはっきり分かって良かった。ガラスがミリミリ浸食されてくあの感じはかっこいいと思う。スタジアムやトレーラーといった大物が「ジュワ〜ッ」と消えていくのもいいんだけど、最初の軍人のあんちゃんがくらってた「ポツ、ポツポツポツ…」ってヒトの皮膚が喰われていく感じがたまらない。ただイナゴのスケールが顕微鏡サイズ?ぐらいに思ってたのが、意外にでかい(ちっちゃな羽アリくらい)ことが後半になってわかり、そこが少しがっかりした。

あとは名前を忘れたんですけどあのロボット(検索で調べかけたら『ペプシマ〜ン』て書いてる人が…)、ミニマルで現代的なデザインなんだけど、あそこまでシンプル(なだけ)だとちょっと寂しい気もします。ラスト、「地球が静止する」ところはわりとかっこよかった。でもGロボほどではないな。大怪球とかかぶりまくりですが、これもオリジナル観てみないと、今川さんがどこまで踏襲したのかがわかんない。誰か観て教えて!
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