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Posted by - 2017.05.30,Tue
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Posted by LittKidd - 2009.07.07,Tue


少し前になるが、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』観てきた。

なにこのわかりやすさ。そして良くできてるなあ、と思った。迷走し、自壊することまでを含めて芸の内、だった庵野エヴァの匂いはもうまったくなく、新しい「商品」として生まれ変わったエヴァンゲリオン(昔だってたいした『商品』ではありました、もちろん)を、不思議な気持ちで眺めた感じ。まあもうパラレルワールドだしね。タイトルもヱヴァンゲリヲンと変わったわけで、この「ヱヴァ」なら「ちゃんとした」エンディングまで辿り着けそうな、そんな安心感すら漂います。良いとか悪いでなく換骨奪胎というか、2次創作的というか…「僕らが本当に観たかったエヴァ」的な(この『僕ら』に自分は入ってませんが)感想を抱く人も多いはず。評判良いらしいし。

最初に言ったように、すごく良くできたアニメだと。痛切な描写とか極端な演出とか、そうしたいわゆる「エヴァらしさ」もちゃんとありつつ、メッセージが明確でストーリーがしっかりしてる(してそう)。メカは格好良く動いてるし(第三新東京市がわりとイイ)、キャラはカワイイし、次作へのヒキもバッチリです。以前の劇場版で、自分は量産機のデザインをすごく新しいものと感じたのだけど、はっきり言って昔のエヴァはもう、古くさい。そう感じるくらいに、ピカピカにアップデートされた最新のアニメ表現がなされてもいると思う。でもじゃあこの続きがすげえ観たいかというと、そうでもないなあ。別に庵野作品(今回『総監督』って肩書きだけど、どこまで『監督』したんだろ?)ということにこだわるわけでもなく、単に自分が年をとったというか、もうあの世界観にそこまで熱くなれないかな、という再確認をしてしまった感じ。個人的に。映画自体は面白いので、アニメ好きはもちろん観て損はしないと思うけど。

エンドロールのたしか「デザインワークス」とかいった項目で、あさりよしとお、鬼頭莫宏、Okamaという三人の漫画家さんの名前を発見。あさりよしとおはたしか前から絡んでた(メカデザイン?)と思うけど、あとの二人はどこなんだろう。鬼頭莫宏は新しい使徒(ゼルエルその他、けっこう変わっちょります)のデザインに参加してる、と言われても不思議ではないかなあ。Okamaはやっぱり女子キャラですかね。貞本ベースだと、わりとアカデミックな人体デッサンに忠実な、しっかり「くびれ」のある体型だった気がしますが、今回(特にアスカの部屋着姿)ちょっとずんどうというか、雨だれの下半分みたいなぷるんとした形の腰〜尻ラインが目立ったようにも思えて、そこがOkamaっぽいっちゃぽいなあ、と思いました。でも作品の資料とか一切読んでないし、Okamaが今どういう仕事をしてるのかさえ知らないので、なんとも言えない。

食べやすく、美味で、消化も良さそうなヱヴァです(だから皮肉とかじゃなく)。
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Posted by LittKidd - 2009.06.26,Fri


どんなにボロボロになっても、ここが俺の居場所なんだ。

ひょっとしたらそれはただの強がりかもしれないし、他に行き場がないだけかもしれない。強烈な寂しさと、手にできたはずの愛情の重さ。引き裂かれるような思いを、ただ単に跳ねのけたいから叫んだ、それだけのことなのかもしれない。

でもそうじゃないんだろうなあ、きっと。プロレスを生で観る、ということを一度しか経験していない自分には量ることのできない、熱や引力のようなものが、きっとリングの上にはあるのだろうと思う。

曇ってばかりの空、錆び付いたトレーラーハウスに、汗や血の匂いのしそうな控え室、廃墟となった海辺の遊園地、場末のストリップバー。冒頭からエンディングまで、綺麗なものや場所はほとんど出てこないが、本当に美しい映画だった。娘との場面や、試合の前後でのギャップなど、何度も泣かされた。終わり方も素晴らしい。

単純だから、「俺も人生頑張ろう」と思いました。それしかないんだよ。

あ、ミッキー・ロークの『レスラー』の感想です。
Posted by LittKidd - 2009.06.19,Fri


『トランスフォーマー/リベンジ』観てきた。

最初にこれだけは言わせて。オプティマスプライム、超カッケ→っす(若者ふうに)!

素晴らしい!小ネタと下ネタに一切手抜かりなし、というのが前作の主な印象だったが、今回もそのテイストは健在。むしろ傾向的に増強されていて、作中、何度「タマ(balls)」というフレーズが叫ばれたことか!いやホントはそんな叫ばれてなかったと思うんですけど…揺れるballsそのものも出てくるし、劇中全シーン通して一番笑いが大きかったのが、IT社長が全身ビクビクいわせながら「タマが!」ていう所だったもんで。仕事してたなぁ、IT社長とオカルト通のあの人は。

他の構成要素は、ロボットの殴り合いと爆発とおっぱいの揺れと惜しげもなくブッ壊れてゆく超高額な兵器の数々。息つくヒマもなく2時間30分が過ぎてゆく、CGと閃光と爆音と大金のかかったカクテル、ケミカルの大遊園地だ。最新の技術で、しかも映画でしかできないことをやり尽くしている、という意味でこれ以上の誉め言葉を思いつきません。こういうのをきっと、ジェットコースター・ムービーというんだなと(エントリタイトルはその略)。隣の席のカップルは、上映中終始イチャつきながら変な音させて飲み食いしつつ、しょっちゅう愛のささやきなんかも交えて鑑賞してましたけど、ある意味これ以上正しい観方もないだろうと思った。だって完全に遊園地なんだもの、観る人によっては。

まあ言葉はアレですけどね、最高に面白いですよ。掛け値なしの、スリル満点。中二男子に逆戻り、間違いなし。

友達は今日、普通の劇場でとりあえず一度観て、後日あらためてIMAXの吹き替えを観に行くとのこと。字幕を気にせず大迫力の画と音響を堪能できるその手順は、この映画においてマストというかモストというかベストと言わざるを得ない鑑賞法でしょう。いやうらやましい。川崎はさすがに遠い…。

ていうかもう眼が追いついて行かない、というのは前作からだけど、そこは欠点などではなく、超生命体の戦いがそんな易々と把握できるスピードでなんか行われてるはずがないんだぜ、という非常に「科学的」な態度なのである。もうほんと、そのメカニカルなパーツの動きたるや、ポルノに近いものがある。回転して前後にスライドするするシャフト、滑らかな動きの関節部など、その描写はほとんどフェティシズムに溢れている、と言ってもいい。こういう生き物がいて、こういう変型の仕方をして…という発想を、微に入り細に入りできるだけリアルに感じられるようシミュレーションし、構築してゆく。これはもう立派なSFだ。

スペシャリストの手がけた美しい「体」を、舐めるように鑑賞するという楽しみ…ほら、起きていることはポルノと同じである。プールから上がって水をしたたらせたり、砂を蹴り上げての格闘で傷をつけ合ったり、オートボットやディセプティコンたちは、色んなシチュエーション・様々な相手とのカラミで、その美しい肢体を観客にさらす。ロボットの映画であるにも関わらず、すごい肉体性というか、体が動くということ、その艶めかしさ、というものについての映画でもであるのだ。下ネタとの相性が良いのも、もっともな話。

いやいやいやいや!けしてそんなオチじゃないんだけどね、「新しい」「体」に関する映画である、ということについては真剣。これ以降、フルCGで限りなくリアルな(アクションではない)普通の劇映画が作られる、というのはそう遠くない未来の話だと思うのね。その是非も含め、そうしたことの意味とか、そこで描かれる人間は一体なんなんだ?っていうこととか、関連するトピックとして、人間と同じ自律思考のAIは生まれるのか?とか、そんないろんなことを考えさせられてしまうほどデキのよい「生命体」たちが、命がけで戦う超〜面白い映画、『トランスフォーマー/リベンジ』。

テクノロジーと実存、といった哲学めいた話題からエロネタ、下ネタまでがすっぽり。

これは器のデカい映画です!
Posted by LittKidd - 2009.06.13,Sat
SF者を目指す男としてこれだけは観なくちゃならん!と勢い込みつつ、でもけっこう遅ればせながら…ようやく観てきました。

そんな意気込みのわりに、映画もテレビシリーズも、オリジナルのトレック経験がほぼゼロだ。そんな男のどこがSFだって感じだが、そういうある意味貴重な「ゼロ目線」を前提とした、この映画の感想です。

(以下ネタバレ)

まず、オリジナルシリーズのカーク船長と今回のその人では、かなりキャラクターが違ってそう。その新機軸ぶりがどれくらいかわからないのだが、おそらく元の船長像は、英雄然としてゆるぎない父性を持った、完成された「頼れる男」として描かれているはずだ。冒頭で、800人の乗員と自分の妻子を救ったジムの父親は、その直接的なメタファーだろう。彼の死と、「新しいカーク」の誕生が、そのまま「シリーズの再生・新しい始まり」として描かれているわけだ。このあとで、タイトルばーん!スター・トレック!!っていうのはもう、限りなく正しいよね。文句なしだと思う。ここは、けっこうグッときた。観てるときは「シリーズの云々」とかって考えてるわけではないので、もう単純に、これこそキャプテンだッ!みたいな感じでストレートに盛り上がってたわけです。でも、これがこの映画のピークだったなあ。個人的には。

その後、やんちゃな少年時代をちらり、荒れてた入隊前をちらり、とかいつまみ。スポックとの対比で成長過程をやるのだけど、バックグラウンドという意味では全然スポックのほうに比重がある。後々の流れからいって、スポックの内面に焦点を当てるのは当然。でももうちょっとジムの方の性格とかその背景だかを知りたかった気はする。ヴィンテージ・カーはもしや母親の再婚相手のもの?とか、入隊前、なんでそんなにすさんでんの?とか。推測の手がかりはあるんだけど、もう少し詳細が語られるべきなんじゃないか。

なんでそう思うかというと、結局最後まで、ジムのことがいまいち好きになれなかったから。機転は利くし、行動力とそれを支えるガッツもある。強引なくらいのリーダーシップも持っている。そういう資質は十分伝わるんだけど、それにしてもトントン拍子に行き過ぎじゃないだろうか、この人。親父さんの信奉者に拾われて入隊、タイミング良くサブリーダーに指名され、反乱まがいの行動で追放されても、なんと(なぜか)偶然にも出会えた老スポックの計らいで、アクロバティックなカムバック。様々な種類の庇護のもと、劣等生が、一夜にして地球を救ったヒーローに!…なんか、「伝説のアメフト選手の息子はやっぱり名選手だった!」みたいなヒネリのなさを感じる。そして正義は勝つ!…的な短絡も。前半で荒れてる理由とか、やる気になったあとで一度は挫折したりだとか、そういう描写のひとつもあれば違うのかもだけど、そういう内面関係の表現はスポックの方にばかり割り振られている気がする。でも、これをやるなら二人ともでやったほうがいいのは明らか。好対照で、時に反発もしあいながら互いを認め合っていく、という二人のキャラクターは、今後もシリーズの大きな牽引力となるはずなのだから。スポックがジムに心を許すのが早すぎる、観ているとまだ、そんな風に思えてしまう。

キャラクターといえば、敵側のロミュラン人がちょっと可哀想すぎた。言いがかりに近い妄執とは言え、何もあんなお腹の大きい嫁さんを画で見せることないだろう。すっきりしない鑑賞感の原因のひとつは、この人たちの悲劇性にもあると思う。星(と民族、家族)をまるごと失って復讐(勘違いなんだけど)の機会を待ち続けること25年、てそりゃ集団ヒステリーにもなるわ。オリジナルとのかね合いがあるのかもしれないが、もっと極悪非道な憎き敵として設定できなかったのかなあ。カークとスポックの、戦い終わって最後、相手が「うん」とは言わないことを見越したうえで「望むなら助けてやる」的な、いたぶり感溢れるセリフもどうなんだろう。総攻撃!ってそんなことやってるから自分らもブラック・ホールに飲み込まれそうになるんではないのか。すごくJOCKS的というか、底意地と頭の悪さを感じさせる勝利で、あんまし気持ちの良いものではなかった。

全体の構造としては、ロミュラン星を救おうとしたスポックの赤色物質が逆に時間改変によるパラレルワールドを生み出してしまい、これまでとは違ったスター・トレック・ワールドが生まれた、ということになるのだろう。これは「焼き直し」の上手い方法ではあるかも知れない。何も全てが変わってしまったわけではない、キャラやエピソードのバリエーションに変化はあっても、基本的には旧シリーズと同じフォーマットが使えるやり方だからだ。事実、映画のラストは、テレビドラマのエンディングを思わせるような「つづく」感じの仕上がりになっていた。ちょっと疑問なんだけど、オリジナルのシリーズでも、あの「転送」ってあんなに万能なの?とりわけカークが辺境の星からワープ中のエンタープライズ号に転送された時に思ったことなのだが、スコッティが老スポックに「コレどうやったんだ?」て聞いたときの、「未来のキミが作った方程式さ」「なるほど!空間を物体としてとらえるのか!」というアレ。あの「卵と鶏、どっちが先か」のやりとり。この、船に戻れるか戻れないかという重要な場面で、SF的に使い古され尽くした感アリアリの、ほとんどギャグといっていいようなパラドックス、ソレがくるのか?!それで解決か?!と唖然としたんだけど、えーと。オリジナルのシリーズも、あんなに「ユルい」んですか?
ご都合主義、という言葉が久しぶりに頭に浮かんだ。だってあまりにも、である。

コミカルなノリと、「オリジナルとのかね合い」みたいなモノを盾にして、旧シリーズの遺産に守られて出航したお姫様、カーク船長と新エンタープライズ号。そんな風に見えた。
「旧来のファンも、新しいファンにも楽しめる、最高のスタートレックが誕生した」みたいなコメントを寄せてる著名人がいたが、このコメントは半分当たりで、半分ハズレだと思う。とにかく、この映画の次作ではなくて、オリジナルの方が強烈に観たくなる。旧作を知らない自分は、この映画の面白さの半分もくみ取れてないに違いない、と感じるという意味においてだ。

予告編で観た「ヴィンテージ・カー台無し」の場面が恐ろしく格好良かった(だから期待も高かった)のだが、本編でのあのシーンの音楽の使い方は、正直ダサ過ぎ。ビースティーの“SAVOTAGE”、曲はいいんだけど(それでもちょっと古い感はある)、よくわかってない奴が「不良の聴くのってこうゆう音楽だべ」っていう、手探りというかおそるおそるって感じでやっちゃった、というパターンに見えてしょうがない。なにも曲のフックをカット変わりにかぶせることはないだろう。せめて、車が落ちた時点で音楽も一緒に消えなきゃダメである。この映画のセンスが顕著に表れたシーンだった。

ロシア訛りの青年は良かった。T4でカイル・リースやってた子だよね。演技が面白いと思う。サイモン・ペッグはやっぱこういう扱いなのね。観られてちょっと嬉しかったけど、こんな映画(あ、言っちゃった)に出てるくらいだったら、イギリスで自分の企画に出演してるほうがいいような気もする。

なにもひねくれた観かたをしたわけじゃなく、普通に期待していった正直な感想がこれなんだよな。T4との関係ってことでも全然なく、ワンダーの少ない映画だなあ、と。ただT4とこっち、新しいことをしようとしてるのはどっちか?と聞かれたら、僕は迷わずT4を挙げるなあ。少なくともこの先どういう話になるんだろう、という楽しみがある。スター・トレックには、保守的な(趣味的な、と言ってもいい)面白みはあるのかも知れないね。だからこそ、これからオリジナルのシリーズを観ていきたい、とは思いました。にしても、旧シリーズのファンがこれに満足しているのは、すこし(S)不思議(F)である。
Posted by LittKidd - 2009.06.11,Thu
『チョコレート・ファイター』観てきた。
香り立つタイトルですが、無論Perfumeとは無関係ですよ。承知ですよ。

◎感想/タイすげえわ。ほんとに。

『マッハ』と較べて(トムヤムクンは観てない)全然洗練されてないというか、むしろ泥臭くなってんじゃないか、と思うようなストーリーがたまらない。ほとんどVシネか、というあたりでアクションシーンが始まると、全然別モノである、と分かる。これはほんとに「ジージャー(主役の女の子)のアクションを観るための映画」だ。異論はないであろう。

最初の内は、「やるとはいってもやっぱ女の子だな」「受ける方が大変だな」みたいな感じでユルく観てたのだが…いやいやいやいや、凄くねえかコレ、と乗り出し態勢に。ザコキャラ役の人たちももちろん大変だが、ジージャー自身がかなりやっちょります。ヒジとヒザ、キック多用の闘い方は、体重の軽い女子がなるべく大きなダメージを与えるには、ということをリアルにシミュレーションした結果だろう。次々繰り出す一撃が「重い」とは見えないのだけど、スピードと体のキレ、技の連続性で見せる。さすがテコンドーで大会優勝とか師範とかしてるだけある。

打ち所が悪きゃ死んでんじゃないか、というような場面が続き、場内からはヒィ!痛たたたたッ!みたいな声がちらほら。エンドロールでNGシーンが流れるんだけど、これがまたけっこうな痛たたた、でした。

ただマッハもそうだったんだけど、爽快さがないんだよね。微妙に後味悪い感じ。でもそれがいいのか?撮影は3年くらい前らしいんだけど、ジージャーにはもっとばんばん映画に出てほしいと思う。

まあとにかくジージャーが可愛かった。日本人顔と言われてるみたいだけど、誰と言われたら松山ケンイチ似。あとみんなそう思ってるだろうから俺も躊躇なく書けちゃうんですけど、ジージャーに顔、蹴られたい。
首ポキィイイッ!!!!って。気持ちいいだろうなあ。
Posted by LittKidd - 2009.06.06,Sat
亀有で。駅を出て劇場のあるアリオまで歩く途中、知らないおじさんに「よっ食いしん坊!」と声をかけられる。だから初対面で核心を突かないでほしいんすけど!大体レディに失礼よ!食いしん坊とは何事よ!最近こうゆう輩が多いんだからもぅ。

ターミネーター・サルベーション。略してT4の感想です(ネタバレ)。

『宇宙戦争』と『トランスフォーマー』を足して薄くした感じ。でもそれはそれで格好の良いアクションになっていて、「良いトコどりをした」と言える完成度だと思う。冒頭(アバンタイトル後)の敵基地襲撃でもう、テンションが上がる。巨大構造物に身を投じるジョン・コナー、その後マーカスが訪れる破壊しつくされたLA、という流れで、「これは良いディストピアだ」と思えた。初めてなわけですよ、「審判の日」以降が、その細かい部分まで克明に描かれたのは。その画の荒廃っぷりにあれだけの説得力があった、ていう点、まずそこを評価したい。その上で、カメラ動かしまくりの爆発だらけのアクション大会なのだが、この運動神経が相当いいと思った。前から4列目の鑑賞だったんだけど、大画面であれだけのスピードと解像度の高い動きを見られるのって、一種の幸福だ。個人的には映画自体超久しぶりだったので、堪能した。

コナーとマーカス交互の展開で、アクションの連続に無理がない構成。でもひたすらの爆音に、飽きては来る。「これ、ターミネーターか?」って感じにもなる。だから終盤でT-800が新型として出てきて、「やっぱ怖いわコイツ」となるのはいいと思った。シュワちゃん出演もアリだと思う。『ベンジャミン・バトン』の若ブラピと違って、こっちのCGにはシリーズの顔登場、ていう意味がある。もちろん話題作りのひとつじゃあるんだろうけど、無茶な流れとは思わなかったね。公開前に発覚、はあざといけど、サービスの一環として普通にまっとうな範囲。

人類の状況は、この後10年かそこらでタイムマシンが開発されるとは思えないよね。その技術は人類が生み出すのか、スカイネットが生み出すのか(“1”を観直したら、スカイネットが開発した旨のカイルのセリフがありました)。今後のシナリオに影響の大きい部分。そこに絡むのかはわからないけど、マーカスという外挿は、SF的にひとつの可能性を感じさせるものではある。「不確定要素の出現で未来は変わる」みたいなことは結局2からすでに言ってることであって、マーカス参入は、人類にとっては新しいテクノロジーを手にしたことにもなる。あとそもそものターミネーターの設定って、言っちゃえばバック・トゥ・ザ・フューチャーと同じ単純なタイム・パラドックスの話で、別にたいしたことを言ってるわけではなかった。そこを破綻させずにうまいこと(行くかどうかはわからないけど)膨らましていけるか、というのが、むしろ今後の見どころになったわけです。今作でその辺が納得いかない場合、こういうふうに考えることも可能。

そもそも「3の正式な続編です」で始まった時点で、七割方負け戦なわけですよ。「審判の日があった」という前提で話が進む以上、それ以前の話をやったってもう仕方がない。じゃあそこから変えてくために、てコトで舞台をジャッジメントデイ「以降」にし、タイムトラベルの解釈も以降で(たぶん)変えてきたりするという。そういうところが「仕切り直し」な部分だと思うのね。初っぱなで全部説明出来なかったのは不備だろうけど、復活第一弾なら整合性より見せ場だろ!という意気でこういう仕上がりなんだとしたら、それはぞれで納得できるものじゃないだろうか。娯楽映画だし。ま、次を観てみないと何とも言えないですが。

何の為に捕虜とってるのか、現時点でスカイネットがカイルを狙う意図は?っていうのは以上の理由から、単純に次に持ち越しなんだな、と思って俺は観てた。あとT-600のボロさ具合から、T-800の開発まで相当なスパンが空いてる、という描写がされたと思ったのね。意外に開発スピード遅いわけです、スカイネット。それがT-1000とかまで作るくらいの間戦ってる、ていうのは、相当追い込まれている、というか拮抗している。だからこそのジョンコナー狙い、というのがシリーズのバックボーンなんだけど、タイムトラベル話のふくらませ方次第で、以降のジョンという特異点の扱われ方はどういうふうにもなりうるんだよね。現段階では、(電波使って、だけど)総攻撃かければ主力を沈黙させうるだけの火力と人員が人類側にある、というのは、けっこう拮抗してるという証左になると思います。ハンターキラー(だっけ。戦闘機)も撃ち落としてたし、組織VS組織で見ると、意外に人類押してんじゃね?というふうにも見れなくはない。

ジョンが電波作戦使わなかったのは、失敗して「罠だった!」ていうシーンは単純に二つは要らないからじゃ?ジョンがやるとかっこ悪いし、ラストのテンションのはりが緩むから、って気もする。カットされた可能性も。

ジョンとカイルを殺すチャンスはありまくりだった。そして総本山でターミネーター一機しか出てこないし、手ぶら。これは…映画のウソ、ていうことで。苦しいな。一機だけなのは、アレは貴重なゼロ号機で、技術上、スピーディーな量産の準備期間であった、という。やっぱ苦しいな。でもT-800単体の強さを再認識させる、という映画上の目的がはっきりとはしてる。だから許せる。

こんだけこの映画の弁護をしてみたくなるのも、全てはチャンベールのせいですね(だけではないけど)。もうたまにコイツになら抱かれてもいんじゃないだろうかと思う時がある。チャンベがカッコイイ、それだけでこのシリーズには続行の意味があるとさえ思うんだぜ。
Posted by LittKidd - 2009.05.16,Sat
文芸坐で小津安二郎の特集上映、『お早よう』の一本だけ、かろうじて観れた。他の小津作品を観たことがない(!!)ので比較ができないのだが、画作り・カット割りの面白さや、色が強く印象に残ることなどが主に感じられた。その上で楽しく明快、非常にすっきりとした映画として観ることが出来る、それも確かである。

何というか…すごい箱庭的に、一度決めた構図を(微妙にずらしたり、あるいはひねりを入れたりしながら)繰り返して積み重ねてゆく手法が、作品の方法論の中心にあるように思えた。たとえば、切妻屋根の軒先から土手を望んだカット、このバリエーションでこの映画は出来てる、といっても過言じゃないだろう。画面の奥の土手の上だったり、手前の家々の間だったり、をうろうろとする人物たちの情景だけで、もう十分に映画の内容がわかる気がする。ロケーションを変えても、場所により似た構図・人物の配置を繰り返す、という手法は変わらず。コントみたいでもあるが(実際、直接的な笑いに応用する場面もある。屁で『呼んだかい?』のとことか)、ふと気づくと、ちょっとぞっとするような不気味さも感じられたりする。『セリーヌとジュリーは舟でゆく』で、白塗りの人形たちがなんども同じ芝居を繰り返したような感じを思い出した。

人物同士の会話が、ほとんどカメラの切り返しで行われるのも自分には新鮮だった。撮影が楽、といったレベルでなく、きっとちゃんとした意味があるんだろうなあ。動かないカメラワークの中で、役者たちの表情は逆にとても動的で楽しい。子どものエネルギッシュさなど、画面からあふれ出しそうな感じがするのである(陳腐な物言いでスミマセン)。そう、やっぱり子どもだろうなあ。端正に、計算しつくされた書き割りの上を、子どもたちが飛んだり跳ねたり。この映画の明るい魅力は、一番にはそこがあるから感じられるのだと思う。

色味の鮮やかさも、もちろん計算されていると思う。色彩設計というものがちゃんとなされているのだろう、画面の中で、フラットな部分とアクセントとなる箇所が明確であり、必要な場所へ必要な視線を誘導しているように思える。ある意味で絵画的な、静的といっていい画面。いわばトリミングされた一枚の絵の中へ人物を立たせていて、その動きや発する言葉自体が、アクティブで面白く思えるようなものになっている。映画を語るには妙な言葉かもしれないが、観終わってまず思い浮かんだ言葉は「サイエンス」だった。「ケミカル」でも「メカニカル」でも「システマティック」でもなく。何かの理論を実験で試しているような不思議なわくわく感が、その「サイエンス」にはこもっている。その秘密はやっぱり、子どもだろうなあ、と思ったのである(映画のことはよくわからないので)。弟イサムの仕草は、いちいち可愛いすぎ!




廊下に飾ってあったフランス版『秋日和』のポスターはなかなかにシュール。
まさかほんとに、こうゆう風に女性が巨大化する映画じゃないですよね。
Posted by LittKidd - 2009.04.29,Wed
朝から池袋へ。時間帯的にまるで出勤。

ロサで10:30からの『グラン・トリノ』へ。朝一番なのにほぼ満席。まあレディースデイだしbuku割の日だし。
『チェンジリング』で、「とてもじゃないが近寄り難い」と思わされたイーストウッドの、しかも目茶苦茶に評判の良い映画(けなしてる人を見たことがない)、というある種の先入観(=期待感)をバリバリに抱えてしまいつつ観ることになった、のもしょうがない。しかしそんなのは開始1分くらいで軽く払拭され、どんどん映画の中に引き込まれていった。

たくさん笑った。そして結局最後には泣かされてしまった。泣くまい、と思ってたし実際ほぼ最後まで大丈夫だったのだが、ある場面でふいにぼろぼろっと。自分と何の接点もない、口汚い差別主義者の白人に、どうしてここまで入れ込んでしまうのか。焦燥を感じてしまうのか。フィクションと知っているのにも関わらずの不思議。あとなんというか、もの凄く無駄の少ない映画だと思った。そぎ落とすことでこれ見よがしの凄みみたいなものを表しているのでもない、ただただシンプルな語り口。力強く、分かりやすい。そんで、美しい。ああもう、これ以上は言わないほうがいい、きっと。

シネリーブルで13:20からの『スラムドッグ$ミリオネア』の列に並ぼうとするも、上映40分前の時点で立ち見決定。これもできればゆっくり観たいので、シネマサンシャインの『バーン・アフター・リーディング』へ切り替える。13:40からなので、チケット買ってから松屋でお昼を食べた。シネマサンシャインの指定席制、意味ないだろといつも思う。売り場の行列長くなるだけなんだもん。チケット買ったあとで、テアトルダイヤの『トワイライト〜初恋〜』にすれば良かったと思った。レイトショーをもうやってない!ので会社帰りに観れないのだ。

『バーン・アフター・リーディング』は、いつもながら底意地の悪い…といった以外の感想はなし。笑ったけど。

夕方から打ち合わせが入っていたのですっ飛んで帰る。朝干せなかった洗濯物を干して現場へ。現場監督のお兄ちゃんと談笑したり値引き交渉したり色々。終わって、帰ってカレー食べてブロギングしている。
Posted by LittKidd - 2009.04.12,Sun
ジャームッシュの映画を観るのは軽く十数年以上ぶり。いかに「映画」そのものに接してない生活をしてきたか、ということがよくわかる。最初の何分かで「うわ、いかにもインディーズだな〜」と思ったんだけど、そう思った僕のほうがズレてしまったんだな、と観終わってから気づいた。ジャームッシュって、一種のヒーローだった。

非常に地味だし一見退屈で何も起こってないように見えるのは、むかし観た『ダウン・バイ・ロー』や『ストレンジャー・ザン・パラダイス』といった作品と同じ印象。『デッドマン』はすごくとんがってた憶えがあって一番好きなのだが、これを機会にもっと昔の作品も観直したくなった。

『ブロークン・フラワーズ』は目覚めの話というか、主人公ドンが変わろうと思う、変わらざるを得なくなるまでの時間を描いたお話だと思う。映画のフォーマットとしては『舞踏会の手帳』(学校の授業で観たので知ってる)なのだろうが、ブッダの四門出遊の話を連想させられる(『君は仏教徒か?』ってセリフもあるし)。東の門から出ると老人が、西の門の外には病人が…というやつ。最後の門の外にはたしか僧侶がいて、そこでシッダルタは出家を決意する(うろ覚え)、というオチが説話としては大事になってくるのだが、映画の最後でドンが何と出会い、どういった変化に至ったか、ということは明確には描かれない。それでいいと思うし、だからいいんだとも思う。なぜなら、四門出遊という説話で示されるのは、いわゆる「生老病死」という人生の苦しみの姿だからだ。シッダルタがもし、一番最初に僧侶と出会っていたら、その姿に感じ、出家を志すようになっていただろうか。つまりはそこまでの過程がミソなのであって、その経験なしに人は変われない。というか、変わる必要がないのだ。

映画を通して、ドンと我々はたくさんの死、あるいは死の暗示と出会う。夫と父親の死んだ家。夢と理想、若さの死(子供の否定)。飼い犬の死。息子の死。そして死者そのもの。出会ったひとびとは、人生とか世の中の縮図としての表れととってしまってよいと思う。年をとるとより強く感じるようになるが、(身の回りで)どういう人が死んだか、というのは自分がどういう風に生きてきたか、ということを映している。物語の構造として、死に触れたものは、それだけ生を希求する。それが最後の、ドンの息子への執着を補強しているのだと思う。

ビル・マーレーはいつも同じ顔のくせに、ちゃんと役柄を演じ分けててすごい。冒頭のおばさん誰だ?って思ってたらジュリー・デルピーでおどろいた。老けたなあ…。あとシャロン・ストーンの娘役のコ、あれはいくら映画でもマズいだろう。ミドル・ティーンをあんなにエロく描いちゃほんとマズいってば!というふうに、役者陣の楽しい映画でもあった。クロエ・セヴィニーとかティルダ・スウィントンも、登場時間は短いけどどきっとするくらい美しい。最後にあの「彼」、エンドロールを見てその名前に驚いた。えっ?!やっぱそうゆう事ッ?! なんかすごく意地悪だけど楽しいっちゃ楽しいラストだと思います。結局謎は謎のままでよくて、そこを深く考えすぎると物事の本質を見失うんじゃないか、とそういう問いかけでもある気がした。
Posted by LittKidd - 2009.04.08,Wed
いつごろからか、友人のひとりが、本名を明かしてのブログ更新を始めていたようだ。

実の名前は、実の生活に直結する。文章で食っているのでない人間が、それを晒しながら世の中に物申すというのは、すごく勇気の要ることに思える。むしろ蛮勇というのじゃないか、とすら思うが、本人にそうした気負いがあるかどうかはわからない。

ただその「蛮」の背景には、ちゃんとした理由がきっと存在する(はずだ)。きっかけがどうあれ、今回の彼の決断は、普段から彼が表明するスタンスとちょっとも矛盾しないからだ。流行りの言葉で言うと、ブレない、というやつ。その「ブレのなさ」を支えるのは、ジャンルに対する愛情と自信、そして一定の優しさ、だろう。そういうものがあるから、できることだと思う。

全くもって「大げさなんだよ!」と笑われそうなエントリではあります。
Posted by LittKidd - 2009.04.02,Thu
知ってた?毎月1日って、東京は映画1,000円なんだぜ!ファーストデイっつの?! 初めて知ったよ!

ちなみに池袋の29(ブク)割は、『buku』という冊子(劇場や漫画喫茶等で配布)を持参で、毎月29日、池袋の劇場ならどこでも1,000円で映画が観れるっつーおトクなサービスですよ。

そんなコンフェッション(恥)&インフォメーション(照)はどうでもよくて、亀有で『ウォッチメン』を観てきました。亀有?えっと帰り道なんだよね。

「コミックの映画化」という意味では、ホントによく出来てるなあ、と。「原作のエッセンスを半分もくみ取れてない」が当初の予想だったので、その期待というか心配は裏切られました。映画の尺で、あの緻密かつ複雑かつ重厚なお話をよくまとめたよ。エピソードの織り込み方・端折り方も過不足ないし、イカが出てこないでかわりにDr.マンハッタンなとことかも、映画というフォーマットにうまく対応した結果だと思う。ビックリする程原作のコマ割にソックリ忠実な画作りとか、80年代の感じの美術(メカやコスチューム含む)とか、よくぞここまで…とおれが思ったくらいですから、見る人が見れば、多分1カット1カットの情報量はすごいことになってるんだろう。もうそれこそBDで何度も繰り返して観るような鑑賞の仕方が適っているのかもしれないね。

流れ的には、特に前半、状況や設定を説明しながら謎を広げていく過程のテンションが凄かった。これはひょっとして大傑作なのでは?! と一瞬縮み上がったりもしました。でもね、それもこれも、「原作を読んでる」という強力なバイアスが自分にかかっているわけで、もとの本がものスゴい作品な場合特に、この影響はすさまじいモノがあります。実際自分は原作読み終わって間もないので、コミックと映画の印象が重なって見えてる所が確実にある。そういう意味ではやっぱり、映画を先に観たほうが自分自身にとっても良かった気がしないでもない。まあでもしょうがないよね。それを言うなら、88年のリアルタイムで読みたかったぜ、ていうのもそうですから。核と冷戦がじっとり汗かくくらいに現実味たっぷりな状況と今では、リアリティに0と100くらいの隔たりがある。ノドンやテポドンじゃ足りない気持ちの悪さだったんだぜ、きっと。まあそんな知識とか状況が皆無だとしても、コミックの『ウォッチメン』が傑作であることに何の変わりもないんだが。

映画の話に戻ると、だから原作にはまったく触れずに『スパイダーマン』や『ダークナイト』(でさえも)的なものを期待してきた人に、「これはヒーロー漫画を脱構築したモノなんですよ」ということが伝わるかというと、そこはちょっと難しいかも、と思った。そこが一番大事な部分ではなかったとしても、そこに気づかないと、そうじゃない面白さに全く目がいかない、という可能性が大きい。つまりよくまとまってはいるのだが、やはり圧倒的に情報量が足りてない気がするのだ。ただ、原作を補完するものとして見た場合、これは素晴らしい資料である、ということは言えると思う。実写の力はやっぱりすごくて、ああ、コスチュームを着ないと勃起もままならないアメコミヒーローってこういう感じか、というのが実によく伝わるのである。ただ、いきなりこれを見せられてもねえ…「なんかマヌケで、全然ヒーローらしくない」とか「全然スカッとしない」と言われてもまあしょうがないよな…でも、でも違うんだよ!それはさ…みたいにグルグルとしたスパイラルに落ち込んでゆく。

アメコミだから当たり前、なのだが、ヒーローたち(ウォッチメン)はほんとうにアメリカそのものだな、と思った。コスチュームに身を包んだ自警団員、というヤバさはマジにアメリカそのものだ。40・50年代のミニッツメンの勃興と没落をボブ・ディランの『時代は変る』に乗せて描いたタイトルバックで、なぜか涙腺がぎゅっとなる。ただ単にディランの曲が良すぎるからかも知れないけど…「アラン・ムーアは『ウォッチメン』でアメリカンコミックのヒーローをバラバラの解剖標本みたいにしてしまった」とフランク・ミラーは言った(ような気がする)けど、そのムーアがイギリス人で、アメリカという国を外から見たとき、あんたらこんなに滑稽ですよ、という意地悪な(しかも非常に質の高い)視点を提供したということは面白い。ムーアがやらなくてもいつかは誰かがこうやった、とも言えるだろうが。ってのはすでに自明のことですね、すみません。

役者は全員反則ってくらい似てた。例外はオジマンディアス。別に似てなくて構わないんだけど、オジマンはもっとこう温厚そうでリーダーシップがあって勉強もスポーツも出来て、っていう生徒会長タイプの人じゃないと、悲愴感とか説得力に欠ける気がした。なんかあまりにも頭良くなさそうなんだもん。

あまり面白くないように書いてるかもですが、面白かったです。
しばらく時間置いて、また(こんどは冷静に)観てみます。
Posted by LittKidd - 2009.03.30,Mon
どこもレイトショーやってないんですよ。来週くらいからやるのかなあ。いやけちってるんじゃなくて、その時間じゃないと観に行けないのよね。会社ひけるの、遅いから。
土日も無理だしなー…(つくづく致命的)。
てことで友人のブログとかもおいそれと読めません。

がまん出来ないのでコミック最後まで読んじゃいまう!
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