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Posted by - 2017.04.27,Thu
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Posted by LittKidd - 2009.05.16,Sat
文芸坐で小津安二郎の特集上映、『お早よう』の一本だけ、かろうじて観れた。他の小津作品を観たことがない(!!)ので比較ができないのだが、画作り・カット割りの面白さや、色が強く印象に残ることなどが主に感じられた。その上で楽しく明快、非常にすっきりとした映画として観ることが出来る、それも確かである。

何というか…すごい箱庭的に、一度決めた構図を(微妙にずらしたり、あるいはひねりを入れたりしながら)繰り返して積み重ねてゆく手法が、作品の方法論の中心にあるように思えた。たとえば、切妻屋根の軒先から土手を望んだカット、このバリエーションでこの映画は出来てる、といっても過言じゃないだろう。画面の奥の土手の上だったり、手前の家々の間だったり、をうろうろとする人物たちの情景だけで、もう十分に映画の内容がわかる気がする。ロケーションを変えても、場所により似た構図・人物の配置を繰り返す、という手法は変わらず。コントみたいでもあるが(実際、直接的な笑いに応用する場面もある。屁で『呼んだかい?』のとことか)、ふと気づくと、ちょっとぞっとするような不気味さも感じられたりする。『セリーヌとジュリーは舟でゆく』で、白塗りの人形たちがなんども同じ芝居を繰り返したような感じを思い出した。

人物同士の会話が、ほとんどカメラの切り返しで行われるのも自分には新鮮だった。撮影が楽、といったレベルでなく、きっとちゃんとした意味があるんだろうなあ。動かないカメラワークの中で、役者たちの表情は逆にとても動的で楽しい。子どものエネルギッシュさなど、画面からあふれ出しそうな感じがするのである(陳腐な物言いでスミマセン)。そう、やっぱり子どもだろうなあ。端正に、計算しつくされた書き割りの上を、子どもたちが飛んだり跳ねたり。この映画の明るい魅力は、一番にはそこがあるから感じられるのだと思う。

色味の鮮やかさも、もちろん計算されていると思う。色彩設計というものがちゃんとなされているのだろう、画面の中で、フラットな部分とアクセントとなる箇所が明確であり、必要な場所へ必要な視線を誘導しているように思える。ある意味で絵画的な、静的といっていい画面。いわばトリミングされた一枚の絵の中へ人物を立たせていて、その動きや発する言葉自体が、アクティブで面白く思えるようなものになっている。映画を語るには妙な言葉かもしれないが、観終わってまず思い浮かんだ言葉は「サイエンス」だった。「ケミカル」でも「メカニカル」でも「システマティック」でもなく。何かの理論を実験で試しているような不思議なわくわく感が、その「サイエンス」にはこもっている。その秘密はやっぱり、子どもだろうなあ、と思ったのである(映画のことはよくわからないので)。弟イサムの仕草は、いちいち可愛いすぎ!




廊下に飾ってあったフランス版『秋日和』のポスターはなかなかにシュール。
まさかほんとに、こうゆう風に女性が巨大化する映画じゃないですよね。
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