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Posted by - 2017.04.27,Thu
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Posted by LittKidd - 2008.09.30,Tue
『アイアンマン』観てきました。以下ネタバレます。

メカの天才で、紛争・戦争が飯の種、な世界的軍事企業の二代目CEO。自家用ジェットで自家用CAが高度1万メートルのポールダンス。美女を日替わりでハベらす、いやらしいヒゲ面の中年男が、程よく冷えたスコッチかなんかを口に含んでニヤリ、自慢の新兵器について得意げにひと言。後にガラリと改心、兵器の生産を中止するも、その理由にシナリオ上しょうがなく、という以上の説得力はなし。劇中でも指摘されるように、改心の末に作ったのが「最強の兵器」、という自家中毒性を省みず、「世界の警察」気取りで自ら他国のいざこざに首を突っ込んでゆく姿は、ある意味でブッシュ政権そのまま。テロリストを過剰悪として単純化、一元的にしか描かない一方で、自社兵器がそれまでに奪った命のことなどまったく意に介さず、「ヒーローは、私だ」と声高らかに宣言するトニー・スタークは、余りにもアメリカ的な「スーパーヒーロー」である。

と、そういう風にも書けてしまうのだけど。

正直、『アイアンマン』面白かった。スマップが「最高!あのスーツ着たい!」って興奮してたのは確かに頷ける。稲垣メンバーに同調?超ありえねんだけど!とか思いつつ、いざ映画が始まりますと…ヤベスゲオモレ!とまあ少年のような瞳で観てたと思いますねスクリーンを。俺もあのスーツ着たいよ!
いわゆるヒーローらしさ、から遠いトニーの風貌やキャラクターも、アフガンでスタートというリベラルを敵に回しそうなリスキーな発祥も、映画の達成度を上げるための発射台だった気がします。そこにまんまとハマった俺。完全にうまいこと転がされたと思う。だってハルクよりダークナイトよりハンコック(これは別物だけど)より、アイアンマンが一番「ヒーローらし」かったんだもの。

金持ちでプレイボーイでいいかげん、そんな男にヒーローの資質なんてまったくない。だからこそブルース・ウェインはそういう男を演じてるわけです。そんな、主人公としちゃこれより下がりようがない、という所から始まって、致命的な弱点を抱え込んでこの世に帰還するまでの過程で、メカを自作、男の戦いと友情、怒りの復讐、というポイントを着々と踏んでくるトニー。その後の、ヒーローとしての自覚を表明し、黙々と開発に打ち込む姿はストイックだし、あの時間をかけて試行錯誤してる感じもちょっとリアルでかっこいい。両手両足での制御がムズそうだな、とか思ってたらプロトの何倍もスマートなマーク2が出てきて、それもあっさり3にとって代わり、いやもう最強じゃん、あんなテロリスト達なんか逆立ちしても敵わないでしょ、と思ったところで、村の略奪の阻止に向かう。ここでもう、対国外・国内共に、非公式にだが「正義ですよ」というひとつの了解を得てしまう。アフガン市民や合衆国パイロットの命を救うヒーローなわけだから。

直後、ちっさい敵が大きな敵にたやすく吸収されて、なるほどと思った。アフガンとかテロリスト云々という部分は関係なくなり、お話はトニー・スタークとあいつの因縁に絞られていくのである。もちろん、あいつを倒すことが世界平和の為なのだ、という大義はしっかりとある。新たにデザインされた敵役のソレは、メカメカしくも禍々しくもありカッコイイ。でかくて素早くて強そう!怖ええ!この相手のデキの良さは、ハルクと比較しても明らかだった。やっぱ敵が強くないと、戦士としてのヒーローが引き立たない。グィネス・パルトロウには簡単に手を出さない、そしてまた彼女の献身が母親チックなあたりまでを含めて、この監督は「男の子のくすぐり方」をわかっている。

じゃあそうした一種の正当化をわかった上でなおかつ『アイアンマン』を面白かった、好き、と思うのはなぜか。
反語のように聞こえるかも知れないが、それはこの映画が「力による正義」を明快に肯定しているからだ。
たとえばダークナイトでは、ジョーカーの居場所を探るためにあらゆる市民の通信を傍受する描写が話題となった。他にも9.11以降をなぞらえたととれる部分は多く、このシークエンスが一種の論議を呼ぶことは監督も承知の上だっただろう。でも、あえてその場面を入れた。
『アイアンマン』はシリアスさにおいてはダークナイトには及ばない作品だが、もっと軽やかにそれと同じことをやってのけている。つまり、「力による正義の行使」だ。自分のまいた種(兵器)で殺される人がいるとしたら、力ずく(新しい兵器)でそれを止めなければならない。何が正義か、はアイアンマンその人によって判別される。なぜなら、それが必要とされているからだ。
つまり、それが「ヒーローにできること」なのだ。自分の頭で敵か味方かを判断して、自分の家族や国の平和を守るため、戦う。最初に述べたように、余りにアメリカ的な姿とも言えるが、今そこで危機に瀕している命を救う、そのためにこそ、ヒーローは存在する。それが出来る特別な存在が「ヒーロー」と呼ばれるものであり、彼らと彼らの強さにあこがれを感じる我々がいる、ということ。SBRのリンゴォ・ロードアゲインの言う『男の世界』にも通じるものがそこにはある。

つきつめてゆけば、「正義」はすごく抽象的な概念でしかない。「治安」や「平和」のイメージには一定の具体性があるが、それを守るのは警察や法律といった人間社会のシステムだ。だが、そうしたシステムで対抗し得ない悪者や、危機が訪れたとき、人は何に救いを求めればいいだろう?繰り返すが、そのためにこそヒーローという存在がある。しかしその「正義」は実は危険なものではないのか?という問いが、常にそこにはつきまとう。その危ういバランスこそがヒーローの醍醐味の一つであり、「大いなる力には大いなる責任が伴う」といった意識も生まれるのであって。
だからトニスタがあっさりと「私がアイアンマンだ」と認めるのは、その責任を引き受けた、ということの表明なんだと思う。まあ原作でそうなんだと言われればそれまでですが、ダークナイトへの返答ともとれるんじゃないか。別な責任の引き受け方があるんだよ、という。「私がアイアンマンだ」のセリフとともに、記者達がフィーバーするじゃないですか。あれは「特ダネだー」という意味の他に、アメリカ人として「よく言った!」という喝采が入っているんじゃないかという気がする。

だから『アイアンマン』は、正しくはこれからもっとヒーローらしくなるはず、なヒーローだ。
ハルクの感想で続編に対して否定的な意見を書いたけど、アイアンマンのその後を観たいがために、今はアベンジャーズにメチャメチャ期待してしまっています。
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Comments
いやリンゴと被ってんのヒゲだけじゃね?
そういえば最初の感動ポイントは、機内でポールがせり出してくるところでしたよ。

そして今回もテーマ曲なしです。いいんだよ?オジーのやつでもさ。
Posted by Watanavader - 2008.09.30,Tue 11:11:35 / Edit
普通にああいう
暮らしがしたい。無理かなぁ?
あのCAたちが、なんか持ってくる度にいちいちトニに微笑みかけるところ、好きです。

リンゴォ云々は自分でも話広げすぎたと思ってるとこだから突っ込まないで。
超個人的スーパーヒーロー観なんです。

グィネス・パルトロウって初めて観た(名前は知ってた)けど超カワイイじゃん!
Posted by litt - 2008.09.30,Tue 16:04:13 / Edit
初めてって
「セブン」観てなかったのかよ!
Posted by Watanavader - 2008.10.01,Wed 11:08:58 / Edit
嫁さんな!
ハイハイあの美人ね!
ってさっき思いだしたのよ俺も。

ペッパーは顔やしぐさもさることながら、敬語とタメ口のバランスが最高にキュート。脚本と字幕の人の言語センスだろうが、あれでかわゆさ2割はアップしてる気がする。
自分的にはまさかのスパルコ越えです!
Posted by litt - 2008.10.01,Wed 14:34:12 / Edit
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