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Posted by LittKidd - 2008.08.10,Sun
心が躍る。体がふるえる。

昔読んだ宮崎駿関連の本で、『アニメーションは批評である』という(言い回し違うかもだけど)一文があって、それから何の映画を観るのでも、そのことを意識してしまう。つまり、絵を描いたり具象の造形をやる人には自明のことなんだろうけど、たとえばフィルムで馬の走るのを撮影するのは、誰でもできる。別にそのつどカメラを発明するところからやらなくちゃいけないわけじゃない。

じゃ、走る馬の絵を描こう、彫刻を造ろう、というときには…実際に近いモノをつくろうとすればするほど、対象の馬という生き物のことを知ってなくてはいけない。前足は、そろって動くのか。後ろ足の筋肉は、お尻の筋肉とどう連動して、蹄へと伝わった力が土を跳ね上げるのか。そういった、馬という生き物の造られ方、運動体としての機能の仕方に近づくことが、馬をそれだけ上手に表現する唯一の方法である、ということ。それは自分の中で馬という存在をかみ砕いて、自分のものにするということ。すなわち、馬に対する批評である。しかも馬は馬だけで走ってるわけじゃない。そこには地面があり、最低でも、摩擦と重力と大気とがあってはじめて馬は馬として走ることが可能となる。

映画に映る全てを絵に描く、アニメーションという行為は、だから世界を批評する行為なのである。
というのがその一文の解題、というか論旨だったと思う。いやだからうろ覚えなんすけどね。

『崖の上のポニョ』に描かれた何もかもが、宮崎本人をはじめとする、アニメーターなり他のスタッフたちなりの、深い観察と洞察を経て、激しい批評の錬磨の果てに生まれてきたものであることは疑う余地がない。その世界には、風が吹き、波が高まり、人が話し、雨が降って車が走り、ごみだらけの海(と地上)にたくさんの生き物が暮らしている、そういう温度やざわめきのような、ともいえる確かさがちゃんとあった。技術的なことはわからないが、水彩画っぽい背景や、ポニョやそうすけたちのいきいきとした描線(とその動き!)には、そうした「世界を造る」ための「世界へのまなざし」が溢れている。溢れて、こぼれ落ちんばかりに、ヒトの手によって映画に吹き込まれた生命を感じて、僕はすごく元気が出た。

繰り返すと、今、自分は「映画に元気をもらいました」と言っています。うわー!恥ずかしい!

でもそうなのである。映画を観るときの自分なりのお作法として、「予告編を含む、事前に出てくる情報をあまり(できれば全く)観ない」というのがひとつあるのですが、ポニョに関してはほんと色々観てなくてよかったなあコレ、と思うのです。だから深読みとかヒネった見方、ていうのは後からいくらでも出来る。まあ今回はパンフも買わなかった、それはたぶんまた劇場に行ってしまうだろうから。まず自分でキャッチできることをよく考え、そうして受けた印象と感動(!)を大事にしたいってことです。例のNHKのドキュメントも、ビデオにとってまだ観てません。

ストーリー的には、今回もいくらでも深読みできそうな要素がちりばめてある。あ、ここから先ネタバレするかもですよ。ポニョの名前がブリュンヒルデだったり、ベースがアンデルセンの人魚姫というのもあるんだろうし、「世界のほころび」とは結局何だったのか、とかまあ色々。トンネルくぐりは千と千尋にもでてきたモチーフだし、とかアレはノアの箱船だろとかボートで会った赤ちゃん(洗礼?)とか、ほんと色々あるのはあるのである。そういうのは、とりあえずあとから考えます。

で、そうじゃないところで言えば、『崖の上のポニョ』はけしてハッピーエンドなだけの映画じゃない、と思う。あのいかにも絵に描いたような(絵に描いてるわけですが)エンドマークの出方、ちょっと含みがあるっていうかなんか意地の悪い雰囲気がするんです。5歳で行く末の色んな部分を決定づけられたそうすけは、本当に後悔しないのか。自分の一存にポニョが人間であり続けられるかどうかがかかっている、その責任の重大さを理解して、受け止めていけるのか。まあもちろん悲観的に考えなくてもいいわけで、それは人それぞれでいいわけで。でもそのこと自体を考えることは、この映画のことを考えるときにわりと重要な要素のひとつとしてあるんじゃないかという気がします。

たかが子供の映画じゃないか、という人はさすがにもういないとしても、ありゃファンタジーだから、っていう意見はあるかも。でも二人のその後をリアルに想像する、っていう試みは、子供時代にポニョを観て育った人たちの心に、時限装置のように根付いていくと思う。大きくなって、たとえば恋人を失ったとき、たとえば自分の子供が生まれたとき。「あのあと、どうなったかな」ってふと考えたとき、宮崎駿のたくらみが、ひとつ実を結ぶんではないだろうか。

二歳の娘と観に行きました。映画館デビュー、大人しく観れた!エラいっ!!
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