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Posted by - 2017.04.28,Fri
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Posted by LittKidd - 2008.10.08,Wed
きのうのエントリを書いたあと、布団で横になってるときに気づいたことなどをいくつか。

妻(キョンキョン)の出奔にはっきりとした理由が描かれていない、みたいなことを書いたが、それは他の人物、他の多くの場面にも当てはまることに気づいた。たかしが米軍に志願する理由もそうだし、津田寛治の夫婦が自殺した理由についてもそう。この二つに関しては、自分はそれなりの理由を推測して、というか解釈してそれでよしとした。なのに、なぜキョンキョンの場合においてはそれが出来ないのか。また、けんじがなぜ、バスでどこへ向かおうとしたのかについてもわからない、そのことには頓着するどころか気がつきもしなかった。なぜなのか。
そこを考えることが、自分がその映画と繋がっていくということなのかと思う。
そこを描かない、というのは完全に意図的な演出なのだろうし。
まあだからどうしたって話なんだけど。

他に気になったのが、たとえばけんじが街で家出中の同級生と出会い、少年の父親から共に逃げようとするシーン。公園の木の後ろに隠れ、喘息の発作に苦しむ同級生の薬の吸引を手伝う場面があるが、重なり合った子ども二人の姿にはどことなくエロチックな雰囲気が漂う。まるで、男女の逃避行劇(『ガルシアの首』とか。でも逃避行じゃないか)を観てるみたいな、少し後ろめたいものを観ているようなイメージ。まるで何かの引用のような。キョンキョンが観る白昼夢(たかしが帰ってきた)の場面にも、そういった手ざわりがある。「人を、殺しすぎたよ」と告解する兵士/息子の姿は、どこかの映画で観たベトナム帰りの帰還兵を思い出させやしないか。
それらが何かの引用であり、具体的な引用でなくとも何かを意味しているのだとしたら、役所広司のあの大げさな演技にも、やはり何かしらの意図はあるのだろう。海に出る、という行為/状態はあまりにも大きな意味を含むイメージの受け皿であるので、そういう可能性に思いが至らなかったのかもしれない。次に観るときはもう少しちゃんと考えてみたい。
まあだからどうしたって話なんだけど。
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